影響を与える誰か ~Sweet Rain 死神の精度2009年05月20日 23時21分46秒



約一年前のキネマ旬報で読んでいなかった号があるので、
今頃読んでいたら巻頭で「Sweet Rain 死神の精度」を
なかなか好意的に特集していたので、
レンタルで鑑賞することに。


「Sweet Rain 死神の精度」は
伊坂幸太郎の小説「死神の精度」の映画化で、
死神がある一定の調査期間を経て、
調査対象の人間をその時点で
死なすか、まだ生かすかを決めるという話。
この死神は調査部の調査員として
人間界に派遣されたという設定で、
調査は遠くから監視していたり
普通の人間の姿で対象と直接接触を持ったりします。

原作は同じ死神が共通して登場する6編からなる短編で、
映画はそのうち3編を抜き出して再構築しています。
死神役は金城武
調査対象は小西真奈美、光石研、富司純子が演じます。


公開は2008年の3月でしたが劇場に行かなかった理由は、
人間界に降りた死神が暗く沈んだ女性に恋をした、
というようなイメージを持つ予告編だったので、
その近年の金城武の「ラベンダー」や
似たような設定の「シティ・オブ・エンジェル」等が浮び、
また、この当時も"感涙"映画の余波があり、
どうもその手の物に疲れていた感があったためです。
そして、この当時の金城はそれほど惚れこめなかった。

また、この当時は伊坂幸太郎の魅力も知りませんでした。
アヒルと鴨のコインロッカー」は好きでしたが、
一作ではまだ敏感に反応するほどではなかった。


そんな経緯で鑑賞してみると、まず、
恋愛映画だと思っていたところが大きな間違いだったと
今更ながら気づかされました。

この死神・千葉は人間の死に興味は無く事務的に淡々と
「実行」の決定を下しほとんどの人間に死をもたらす。
それが小西真奈美演じる、映画で最初の調査対象の
OL・一恵の死を「見送り」にしたことから運命が動き出す。
と言っても、肉親を不幸な事故で失い、職場でも孤独な一恵は
密かに千葉に魅かれるものの、千葉は死にも生にも興味無し。
彼女の死を保留したのも、実行直前になって、
彼女が歌手デビューをするとなったからに過ぎません。
千葉はミュージックが好きなのだった。

しかし、その気まぐれにより生かされた一恵の人生は続き、
やがて、最終章の調査対象である、海辺で美容院を営む
富司純子演じる70歳の老未亡人の死の判定へと繋がっていきます。

劇中でも直ぐにバレるので言っても差し支えないと思いますが、
この老女の正体は・・・であると知り、千葉は驚愕します。

自分にとっては些細で取るに足らない選択が、
他人の運命に影響を及ぼし大きく動かしていくことを
千葉はここに至って実感します。
それが分かったとき、一見すると関係ないかに見えた
2番目の調査対象、光石研が演じるヤクザの死。
それもまた一恵の人生に関わっていたことを知ります。

直接的に関係あるのはそのヤクザを尊敬する舎弟の方ですが、
ヤクザの死がなければ、彼の最終章における存在も変化していた。
そこには、生きるも死ぬも、何らかの影響を及ぼし、
人生の果ては世界の無限の分岐があることを示します。
結局は交通事故かと、その時点では片付けられかけたヤクザの死も、
大きな意味を持って蘇ってきます。


そして、その先に再び巡ってきた死の判定。
誰にでも平等に訪れるのだから、死は取るに足らない。
そう感じるのはその人の人生を見ていないから、
そんな風に告げる老女の言葉は千葉を通り越し、
その向こう側から物語を見つめる私達に語りかけます。

これらのエピソードをもって作品は、
死ぬことと生きることとが同義であることを物語ります。
どう死ぬかということは、即ちどう生きるかということ。

また、老女の口を通じて、奇跡的に生き抜いたことが、
必ずしも以降の人生が幸せに満ちたものではないと語られます。
しかし、それでもそんな苦味を越えて、最後に澄んだ世界を見た時、
やはりこれで良かったのだと思える不思議と、悟りに似た境地。
そこが何故か無性に泣けるのです。

いや、泣けると言っては安い映画に落としてしまうかも。
心を微かに振るわせるのです。

死神・千葉が人間界に現れる日は常に雨。
老女に合い、答えを掴んだ時、初めて雲間から空が晴れる。
彼もまた、死についての答えを探していたのかもしれない。
「君は死ぬことについて、どう思う?」と相手と自分に問ながら。
それは「君は生きることについて、どう思う?」と同じ。


伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」も同様の問いかけで、
そして、自分の人生は誰かの人生を動かしていく。
誰かのおかげで誰かが生きて、めぐり合っている。
自分にもそんな影響力が少しでもあったなら、人生無駄ではない。
Loading