そこに在るべき善さ2008年01月17日 00時28分28秒

早いもので今年も16日も経過致しました。
そのうちすぐに2月が来て、短い2月はあっというまに過ぎ。
そして桜が咲き、またたくまに散り。
青葉と台風と夏の日差が眩しくなり。
南極の氷を溶かしたり酸素窒素フロンガスを処理したりしているうちに
最後のニュースを聞くのでしょう。でも問題は傘が無い。

まあとにかくあっというまに一年過ぎてしまうというわけですよ。
もう今年の初めにやろうと思ったことを
忘れた人もいるんじゃないでしょうか。

さて、日頃忙しいと言ったり暇だと言ったりしている私の仕事とは何なのか。
今日はそれをチラリと。見えそうで見えないから良い(?)。

簡単に言うとコールセンタでメールによるお客様対応をしているのです。
何のコールセンタかは具体的に言えないですが、
まあコンピュータ関係ですな。

ちょっと前までは電話応対チームだったので、
メールに部署異動となり、変な気を使わず、ゆっくり考えられてラッキー
と、思っていたのですがよく考えると大きな罠があったのです。
メールは応答率100%でなければならない。
だって、お問い合わせが形としていつまでも残っているんですもの。
電話だったらぶっちゃけでなきゃいいので。

質問のメールを送った方はそれだけでもう、
「自分の声は相手に届いている」と思っているわけで、
じっと回答を待っているのです。
皆が、要求が通るまで帰らない客みたいな状況です。

中には1時間後の回答で「遅い!」と怒る人や、
3日も1週間ものんびり待っている人など、時間の許容感覚は様々。
でも、基本は即日返答なわけで。

あなたもやっちゃっていませんか?
メールの返事を何日も先延ばしすること。
返事をせかすのも考えものですが、
一般に早いほうがいいでしょうな。
相手に誤解を与えない、ときには変な期待を抱かせないためにも。

そんなわけで今日もちぎっては投げているのです。


さてさて、今日は「幸せの絆」という中国の映画を。

物語は今時珍しいぐらいシンプルな直球勝負。
中国の山間の村へ一人の少女が迷い込んで来る。
少女の身体にはいくつもの痣があり、虐待を受けていたらしい。
不憫に思った村の老人が引き取り育てることにするが、
共に暮らす息子夫婦をはじめ、村人達は自分たちの生活だけでやっと。
息子の嫁はなんとか少女を追い出そうとするが、
一家のために健気に働く少女の姿に、
いつしか皆が愛情を抱いていくのであった。


昔、「ニューシネマ・パラダイス」を
ショートケーキに砂糖をぶっかけたような映画と評した人がいましたが、
本作はその邦題、脚本と演出のどれをとっても、超直球の映画です。

お祖父ちゃんが病気で倒れると必死に少女が看病し、
捨てられそうになると涙を流して訴え、
自分はいいからあなたが食べてください、と自分の食事を分ける。
理想過ぎて幻想に近いような話ですが、
前述のように今時めずらしいほどの暖か人情劇なのです。

振り返れば先鋭的な変化級ばかりが持て囃される昨今、
本作のような作品は逆に作られにくい世の中の風潮となっています。
かつては日本にもこんな素直で真面目で暖かな映画がたくさんありました。
こういう映画は古いと言われても流行らないと言われても、
本流として中心となる芯を作る存在として
守られていくべきものではないでしょうか。
この中心の固い芯の部分が空洞化しているのが昨今だと思います。

「偽善的」だの「夢想家」だのとその言葉の意味も理解せずに、
そう指摘することが優れている証という錯覚だけで発言することが、
真に善きものを表に出すことを憚らせ、
表舞台から駆逐していく愚かな行為に過ぎないことに
我々はそろそろ気づくべきではないでしょうか。
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