新旧中華の電影2007年12月14日 00時44分22秒

先頃まで仙台フォーラムにて
「中華電影節2007」という企画を催していました。
中国の映画を旧作から新作まで7作品上映しておりまして、
とりあえず3作は鑑賞済みだったので、
4作品を鑑賞することとしました。

旧作陣は「双旗鎮刀客」「變面~その櫂に手を添えて~」の2作品。

「双旗鎮刀客(そうきちんとうきゃく)」は
(舌をかみそうなタイトルで、ちなみに区切り方は「そうきちん・とうきゃく」)
時代劇で「双旗鎮」という集落に許嫁を探しに来た青年が、
剣の達人だった父の才能を受けついでおり、
村を食い物にするゴロツキを退治するというもの。

黒澤明の「七人の侍」等の時代劇を研究して制作したということで、
ややイメージがだぶる描写もありますが剣劇などはかなり異なります。
チャンバラの鍔迫り合いで魅せるというより、
一刀に全てを賭けるアクションが大半です。
加えて、斬る描写は剣を振り、切られた相手が映り、血が流れ、
相手がバタリと倒れ、という細かいカットを繫ぎ合わせるというもの。
黒澤というよりもヒッチコックの「サイコ」に近いのでは。

悪くない魅せ方ではあるものの、監督流の見せ方なのか、
それとも剣術アクションをできる役者がいなかったのか。
どちらにせよ、この剣術を登場する剣の使い手の全てが
使用するというのはやりすぎだと思います。


「變面~その櫂に手を添えて~」は、
伝統ある大道芸の継承者を探している老人が、
ある少女と出会うことで数奇な運命を辿るというもの。
温和なヒューマンドラマを想像しそうですが、
子供の人身売買や冤罪の発生や不正の温床となる警察の腐敗を
交えて描く、なかなか骨のあるドラマです。

「變面(へんめん)」とは様々な面を一瞬にして被り変えるという大道芸。
老人は「変面王」と呼ばれて親しまれているが、
弟子のいないまま芸が廃れることへ不安と寂しさを抱いている。
そんな折、売られている少年を哀れんで買い受けて
芸を伝承させようとするものの、実は少女であったことに激怒する。
まだ女性の地位が低かった時代の話で、
芸を伝えるのも男子へと考えていたのであります。

邪険に扱われてもいつか芸を習えると信じて
老人の身の回りの世話をする少女が健気で愛しい。
誤解から老人が警察に逮捕され無実の罪を着せられるなどの苦難を
中性である大物役者(美和明宏のような)の助力で乗り越え、
最後には老人が少女に理解を示し芸を伝承させるハッピーエンド。

古い考えに縛られた人間達が若い世代の人間の行動に心動かされ、
理解を示していく話はどの時代でもこれから先も作られるでしょう。
違うのはその時代に何が古く何が新しいかということ。
これは90年代に制作されているものの、抱える問題は未だ現在形です。
随所に見える哲学的物言いもまだ未来を示しています。
にも拘らずこういうスタイルの中国映画はかなり減っていると思います。

次回は中華映画新作篇です。

楽観主義だよ2007年12月16日 23時10分50秒

中華電影節2007の新作の章は「ニーハオ鄧小平」です。

タイトルの通り、現代中国の経済発展の基礎を築いた
鄧小平の生涯を追ったドキュメンタリー。
本人の肉声をナレーションとして使用したり、
ほぼ100%に近い密度で資料映像で構成されています。


鄧小平の詳細については『ウィキペディア(Wikipedia)』などを
参照して頂きたいのですが、3度の失脚を乗り越えた
1970年代後半から1990年代後半の中国の最高実力者です。

天安門事件での武力弾圧等は国外では賛否あるものの、
映画はとにかく鄧小平を絶賛するものでした。
とにかく、最初から最後まで観れば、
鄧小平が人格素晴らしく実力が有り人々に愛されているという
賞賛の波に首まで浸かることとなります。

国外での否定的評価についてはほとんど触れておらず、
誉めすぎという感は外国人からすれば否めないものの、
作家の小林信彦氏の
「日本では何故かトリビュート番組(有名人の偉業を伝える番組)
を死んだ時にしかやらない。」という言を借りれば、
これくらい前の世代を絶賛する映画やTVがあれば、
若い世代も少しは前の世代を尊敬するとか、
夢や希望の目標として定めるとか、
プラスになることもあるかもしれないので、
日本もちょっと見習うべきではないかと思います。

それが「プロジェクトX」等だったわけですが、
なんでも同じことを繰返し過ぎるのが悪いところというか、
あるいは懐疑的に、ひがみそねみに観てしまうのか、
日本人はまだまだこの分野が下手のようです。


ちょっと疲れるくらいの作品ではあるものの、
戦後中国の発展の歴史を紐解くように凝縮されていたり、
鄧小平の言葉の一つ一つに哲学と含蓄と知性が感じられるなど、
興味深い一本なのでお勧めです。

哀歌と愛歌2007年12月16日 23時42分22秒

中華電影節2007、新作の章の後半は、「胡同愛歌」です。

「胡同(ふーとん)」とは中国の区画整理された昔ながらの
狭い路地に店や家屋が並ぶ街並み。
北京のこの路地裏で、リストラされ駐車場係で生計を立てるトウと
父親思いだが不器用で反抗期の息子のシャオユーが
二人で慎ましく暮らしている。
トウは花屋の店主シャオソンと再婚しようとしているが、
服役中に離婚したはずのシャオソンの夫が出所してきて、
まだ離婚届は提出していないと、二人の仲を邪魔する。


「ニーハオ鄧小平」で現代中国の高度経済成長を讃えたと思えば、
こちらは180度転換し、経済成長に取り残された人々の物語。
「楽観主義だよ。毎日悩んでどうする。」とは
鄧小平の苦難の人生から得た達観した考えですが、
そうはいっても一般庶民は現実に悩み多き生活の中にあります。

都合の良いことばかり考えるシャオソンと、その暴力的な夫のせいで
トウとシャオユー親子の生活は徐々に狂い初めて行きます。
口では威勢良くても意気地の無いトウに替わって
喧嘩っ早いシャオユーが仕返しを試みても返り討ちにあい、
親子関係もギクシャクし始めますが、
最後にはトウがブチ切れ、自分の手で決着をつけます。

結果として嵐は過ぎ去り雲は晴れたものの、
トウとシャオユーとシャオソンは離れ離れになり、
新たな人生を進んで行くことになります。
とりあえず溜飲は下げたものの、彼らの寂しさは漂います。

しかし、これは「愛歌」であって「哀歌」ではありません。
普通の人々の喜びも哀しみも全てを愛情で包み込み、
息づく生活の風景として受け入れるまなざしを感じます。
かつて日本でも松竹あたりが制作していた
人情劇に近いのではないでしょうか。

そしてこの喜びも哀しみも詰まった庶民の歴史が重なった街は
北京オリンピックによる再開発によって破壊されていくのです。
かつて記録映画「東京オリンピック」で市川崑監督が
再開発のため鉄球でビルを倒壊されるシーンから始めた様に、
オリンピックのお祭りムードを冷静な目で見つめている人が
少なからずいるのだと思います。
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