罪との対峙2006年06月17日 22時50分07秒

間隔が凄く空きましてごめんなさい。
言い分けをすると仕事の話のせいになりますのでしませんよ。
鑑賞映画の続きです。

トミー・リー・ジョーンズ監督作
2005年のカンヌ国際映画祭の最優秀男優、最優秀脚本賞受賞、
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」のことを書きましょう。

トミー・リー・ジョーンズとは、ハリドン・フォード版の「逃亡者」の
ジェラード警部や「メン・イン・ブラック」の黒服コンビのオヤジの方
などを演じている、ちょいワル風ベテラン俳優。
最近ではなにかのCMに宇宙人役で出演していて、
「この星の夜明けは美しい」と言っていたのが私のツボにはまりました。


メルキアデスはメキシコからテキサスへ不法入国したが、
年長のカウボーイのピートの計らいで牧童達の仲間入りを果たす。
後に二人は親しい友人となるが、ある日にメルキアデスは
牧場近くで銃殺死体となって発見される。
「俺が死んだら故郷のヒメネスに埋めてくれ」
生前にそう約束したピートはメルキアデスを誤って射殺したのは
新参者の国境警備員マイクであることを突き止める。
拉致したマイクと墓から掘り出したメルキアデスの死体をラバに積んで、
ピートはメキシコにあるという未知の地ヒメネスへと向う。


少々奇妙な映画であります。

故人の約束に従い、故郷へ埋葬する。
これはそれほど珍しいものではないでしょう。
肉親なり友人なりの骨壷を抱えて旅をし、故郷の土なり海にまく主人公、
というのはわりと見かける光景ですし、往々にして綺麗に演出されます。

しかし、この映画では土葬の遺体をラバに乗せて運ぶのです。

私は「棺桶を引きずっていくのだろう」と勝手に思っていたのですが、
遺体を袋に入れて土葬の墓から掘り出したまま運んでいくのです。

当然、運ぶ途中で蟻に食われかけたり腐敗したりするので
一部を焼いたり防腐処置を行っていきます。
死体愛好、と言うほどではありませんが、
義理や友情以前に少々奇妙な光景です。

ですが、遺体がそのままの形であるということは
以前確かに生きた人間がそこに死体としてあることであり、
死んではいるものの、その中に魂があるように感じさせます。

以前、恐怖漫画の巨匠・楳図かずお先生が、
「土葬にして墓の中に死体がないと、死を実感させることができない」
と言うようなことを仰っていたのを思い出します。

本作の旅はピートとメルキアデスの友情や信頼、また義理や仁義の
強さを見せる旅でもありますが、加害者マイクが自身の犯した罪を
悔いて精神が成長していく旅でもあると思います。

自分が殺した人間の死体が目の前にある、血の色はなく、
徐々に腐臭を放ち、虫に食われていく。
そういう様を見せ付けられているのと、
小さな壷や棺桶を見ているのとでは明らかな差があることでしょう。

これは自分の殺した相手の死体を見ることが無い
「ボタン戦争」を行っている、アメリカ他に対しても
痛烈な意見の提示にもなるのではと思うのですがどうでしょうか。


そう書くと暗く重い話のようにも感じますが、
映像は明るくラストは清められた魂の話だと思います。
罪を悔いたマイクは精神的に成長し、魂をとり戻す。
約束を果たし終の棲家を見つけたピートは魂の安息を授かる。
そして、メルキアデスの魂は故郷の大地に還る。
古代の民の宇宙観にも似た印象を受ける、余韻残る作品でありました。

「ぼくを葬る」 ~ 幕の引き方2006年06月18日 21時48分13秒

昨日に引きつづいてまた死についての映画でございます。

「スイミング・プール」などを手がけたフランスの期待の若手監督
フランソワ・オゾン最新作「ぼくを葬る」です。
ちなみに、葬るの読み方は「おくる」です。

ファッション業界の期待の若手カメラマンであるロマンは、
31歳にして末期ガンで余命3ヶ月と告げられた。
彼は病魔と戦うことは望まず、死にまかせることを選択する。
姉や両親には隠し、同性愛者である彼は恋人の男性と別れるが、
ただ一人だけ、理解者である祖母には真実を告げる。
そして彼は死と静かに向き合っていく。


若くして不治の病を宣告される映画は珍しいものではありません。
ささやかな、あるいは燃え上がるような恋をする主人公や、
家族や友人達のために最後の贈り物を残していく主人公など、
様々な形の残り僅かな余生の選択がありました。

本作の主人公のロマンは若いというのに静かに死を待ち、
恋人や家族との繋がりをも精算するように絶っていき、
内向的に自分の人生を思い起こし一人静かな死を選びます。

しかし、絶望の淵に落ちて堕落的に逃避する様子はなく、
祖母に打ち明けてからは真っ直ぐな眼差しで死を見つめます。
だからこそ一度は拒絶した、子供が出来ない夫婦への協力や
恋人と再会をしてきちんとした別れを告げる気にもなったのでしょう。

もう一つ、カメラのシャッターを切るシーンがよく出てきます。
宣告前はそこに芸術性があったのか職業意識だけかは分かりません。
ですが余命を知ったことで何か変化はあったのでしょう。

彼がなんのためにシャッターを切るのかは定かではありません。
自分の最後のアルバムを作っているわけではないようです。
おそらくは姉の微笑みや恋人の寝顔という一瞬を記憶に焼き付けたい、
その衝動が、ロマンにはシャッターを切るという形に
なって現れたのではないかと思います。

実際にはドラマのように最後に一花というわけにはいかない。
ただ、それでも笑顔を美しいと感じたり、赤ん坊を愛しむことはできる。
いつもの日常が少しだけ素敵なものに見えてくれば、
という現実的なメッセージではないでしょうか。

ラストの海に沈む夕陽が命の炎に見えるのは
少々クサイ気もしますが美しい映像です。
浜辺で自分を葬ったロマンは海へと還るのでしょうか。
土に還る人、海へ還る人。やはり最後は自然に還りたいです。

水平線の彼方から2006年06月19日 22時21分30秒

私、にわかサポーターにさえなれない人であります。
ですから職場で挨拶代わりにサッカーの話題を出されるのが正直、嫌です。

そんな世間とは遊離した本ブログ。
世間とリンクするのは今時の公開映画のみ。
今日はウォルフガング・ペーターゼン監督最新作「ポセイドン」です。

34年前制作の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク作。
大津波によって転覆し、上下逆さまになった豪華客船からの
脱出を試みる数人の男女の脱出劇です。
ただ、リメイク作品はどうしても見方が意地悪になります。


オリジナル、リメイク両方を比較してみると。
人間ドラマを見るなら「ポセイドン・アドベンチャー」。
脱出のスリルを味わうなら「ポセイドン」だと思います。

ウォルフガング監督と言えば「Uボート」「パーフェクトストーム」など
海や船の映画を撮っているので演出には不安はありませんでしたが。
ただ、危険に立ち向う荒くれ男どもの撮り方は上手くとも、
恋人達や親子の微妙な機微となるとやや難有りと感じます。

最近、死のドラマについてばかり書いていますが、
やはりここでも死の扱い方について気になることがあります。
前作では長年連れ添った夫婦や、いつも一緒にいた兄妹の別れや、
救えたのに救えなかった大勢の命という、人物の死について
登場人物の悲しみと苦悩が深く描かれていました。
今作はこれがどうもあっさりとした印象です。
特に二者択一を迫られて、必至に喰らいついて蹴落とされた
マルコはその後話に上ることがなく、あまりに憐れです。

最後の脱出シーンも前作の方が好きです。
船底まで辿り着き(船が逆さまなので、外に面するのは船底になる)、
救助隊によって鉄板が切断されて日の光が差し込んだシーンは、
今作で都合よく飛んでくるヘリよりも感動的です。

こう言ってしまうと今作が薄っぺらな印象になってしまいますが。
次から次へと危険が迫り、ついつい引き込まれてしまうのも事実。
それに加えて準主役のディランの活躍が目覚しく、
ノンストップアクションと言うべく、直ぐに時間が過ぎていきます。

前作のリーダーは神父で今作はニューヨーク市長であったり、
船長が黒人であることなど、観察してみると興味深い、
34年の間の世の中の動きも窺えるかと思います。

前作を見ていないならば先入観もないことですし、
演出も派手で単純にスカッとできる映画ではないでしょうか。


この映画、一番派手な盛り上がりどころが船の転覆、
つまり冒頭に来てしまうのですから、それから後をいかに
間延びしないようにするかが、監督の腕の見せ所だと思いますよ。
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