転んでもただでは起きぬ2006年02月20日 00時15分39秒

18日のこと。
この日も仕事帰りにおりゃー、と映画を観て帰ろうと思ったのですが。

いったいどういうわけか、まあ私が悪いのですが
開始時間を間違って記憶しておりまして、
着いてみたら15分過ぎていました。

途中でレンタルビデオを眺めていたのが失敗でしたな。
余裕を見て行っていれば悠々間にあったのに。
もっと遅い時間の別の作品を観ようかと思いましたが、
次の日も朝から早く出かける予定だったので、おとなしく帰りました。


でもそのおかげと言うか、車内のラジオで聞いた
ラジオ寄席、春風亭柳昇(五代目)の落語に大爆笑しました。
笑いすぎてハンドル操作がかなり怪しかったですよ。

落語の笑いというのは粋といいましょうか、
ああいうのを本当に洒落ているというのかもしれません。
昨今のお笑いコントより格段にレベルが高いと思いますよ。

昔、学生時代の落語研の落語を聞いたことが何回かありますが、
笑えたことは一度もありませんでした(笑)。
確か、著名な話もいくつかやっていたと思うんですよ。
でも話し手によって印象も違いますし、
笑えるかどうかもそのポイントも全く変わるもんだな、と感じます。
私などは話し下手なのでちょっと勉強したいと思いますよ。
師匠の話し方は大体、その弟子にうつりますからね。

まあー、談志の喋り方だと賛否あるかも。

その眼差しの向こう2006年02月20日 00時45分15秒

早朝から街中の映画館へ。
日曜日の店の開店時間前だと、街中でも空気が穏やかで
静かで落ち着いた雰囲気ですね。

今日はドイツ映画
「白バラの祈り ゾフィー・ショル最後の日々」です。

ゾフィー・ショルとは第2次大戦下のドイツで活躍した
反ナチスの女学生活動家で、21歳在学中にナチスに逮捕され、
逮捕から5日間で死刑が確定、翌日に死刑に処されました。
戦後、その人物像は聖人化され欧州における自由の象徴となります。


兄と仲間と両親と、プロテスタントとしての敬虔な生き方と、
そして冷たい牢獄に射し込む太陽の光に自分を奮い立たせて、
眼差しと言葉に宿った強い意思が胸に響きます。

21歳。私より何年も若い彼女が、超人的な聖人ではなく、
巨大な敵地の真ん中で不安に潰されそうな中で
言葉と言葉で戦い抜いた事実に、
だらりとノンポリで過ごした学生時代を恥じずにはいられません。
それを互いの時代のせいにすることはできません。

最後の日々のゾフィーの目は裁判官を憐れむこともありません。
後に続く者が意思を継いでいくことを信じて。
その目の先は未来を見つめて。

彼女が訴えた自由の未来、そこで我々は何をしているのでしょうか。


描かれた事実は重いですが、希望の残こる後味です。
まさに、暗い室内に一筋の輝く太陽光が射し込むように。


ところで、役柄のせいや女優ということもありましょうが、
ドイツの女性は強い意志を感じる凛々しい顔立ちと
聡明さを感じる知性的な目を持っているように思えます。
そのせいか、若干老けている様にも見えますが。
そうではない人もたくさんいるのでしょうが、わりと好きです。

あの年、あの地から2006年02月20日 23時13分30秒

日曜日にもう1本続けて観ておりまして。
ヴィム・ヴェンダーズ監督の最新長編作、
「ランド・オブ・プレンディ」であります。

アメリカで生まれ、アフリカ・イスラエルで育った少女が
亡母の手紙を伯父に渡すために10年ぶりにアメリカの土を踏む。
伯父は一人でアメリカを守ろうと自前で武装をしていた。
アラブ系ホームレスが殺される現場に居合わせた二人は
その男の兄へ遺体を届け、真相を知るためにワゴンで旅に出る。
ロサンゼルスからトロナ、そしてニューヨークに至るアメリカ縦断である。

話が進むうちに、911がベースにあることがわかります。


現在のアメリカを外から観ていた少女。
現在のアメリカが内包する問題を象徴する伯父。
そして、「アメリカの中にいる」アラブ人。
現在の混沌としたアメリカを個人レベルまで集約した形です。

特に伯父ポールのキャラクターは強烈で、
個人自警団ともいえる武装ワゴンに籠もり、見えない敵を警戒しています。

特に面白いシーンが、一つ。
最終的にポールが敵のアジトと信じて踏み込んだ家には
ベットに寝たきりの老婆が一人きりという場面。
「リモコンが壊れて、このチャンネルしか映らないの」と、老婆。
その画面には高らかに演説するブッシュ大統領。
ポールがポカリとテレビを殴るとチャンネルが切り替わる~。

ベトナム帰還兵という過去から911によって
さらに歪んだ愛国心にとりつかれた男の旅の行き着いた先、
なんとも皮肉な結末でしょうか。

深く読もうとすればいろいろな見方が出来る話です。
例えばどうやら、登場人物のほとんどは911をテレビで観ていた様子。
ラストで初めて、センタービル跡地グランド・ゼロに降り立ちます。
外にいた少女、中にいた伯父がともに事実に向う。
それは、アメリカ人と我々外国人が、
同じ地で向き合わなければならないことのように思えます。
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