長野路へ ~善光寺参り2010年11月07日 23時17分00秒

さすらい河永・旅情篇~シリーズ・日本を訪ねて~
今回の静流河深は長野―戸隠からお送りいたします。

2週間前に宇都宮に行ってきたばかりの僕を待っていたのは、長野行きの旅。
この旅は以前から予定していたものではなく、元々母が友人と行く予定だった旅が、
諸事情あって友人が行けなくなったので急遽、切符その他が勿体無いので
長野には初めて行く僕が代わりに同行することになったということの次第。


さて、長野駅に着いた我々は昼食を済ませると早速、善光寺に向かいます。
長野駅から善光寺までは中央通で続く一本道、
バスで100円の10分程度で到着するということで迷わず乗車。
なにしろ、着いたのは12時半頃なのです。

善光寺大門前というバス停で降りるとそこは直ぐ入り口。
なんだかあまりにあっさり着いてしまった気がしますが、
直ぐにその巨大さを知ることになるのです。

何を隠そう、僕は長野に行きたい願望はあったものの、
どちらかと言えば最初は諏訪大社に行きたかったので、
善光寺は全くチェックしていなかったのでありました。


そんなわけで、不遜にもただの「寺」としか思っていなかったわけですが、
周辺に史跡名所はあるわ、仲見世のお土産・食べ処はあるわ、
すぐに見たい行きたい!がいっぱい!になるなる。
加えてこの日は日曜日で快晴というお日柄も良くかなりの賑わい。
ある種のテーマパークを連想、伊勢神宮のお伊勢参りの感覚を思い出したのでした。


まずは仁王門に向って歩を進めます。
見上げれば蒼く済んだ空、見下ろせば陽を浴びて輝く石畳。
この参道脇に白蓮坊という宿坊があり、
近くに小さな地蔵様とむじなの像がありました。
むじなの伝説自体は昔から伝わっているそうですが、
像の方は近年に作られたものということでピカピカ。
なんとなく見た顔だと思えば、作は「せんとくん」の籔内佐斗司さんなのだそうで。

■むじな地蔵
  http://www16.plala.or.jp/syukubou/mujina.html


巨大な仁王像の仁王門を潜り抜けるとそこはまさに門前町の風情の仲見世通。
おやき、おまんじゅう、甘酒等々、食べ歩きも楽しそうです。
ここまで来ると僕の気分も早々とワンダーランドです。
また、通脇には延命地蔵尊があります。そこにはかつては本尊壇があったそうです。
今この地蔵様の後ろには松屋旅館という旅館が建っています。
善光寺に最も近い旅館とのこと。そりゃ、もう善光寺みたいな場所ですものね。


なおも山門に向って進むと広場に出ます。
これは案内所にある、牛に引かれて~を表した巨大な牛の像。

これは六体の地蔵様、「六地蔵」。
六という数字は仏教の六道。右端のお地蔵様だけ片足を出しているのは、
早く助けたいとの気持ちの表れなのだとか。

山門の上を鳩(たぶん)の群れが飛んでいます。
その光景に思わず「ロートロートロート♪ロ~ト製薬~♪」を歌います(古)。
しかし、本当に鳥達の飛翔が映える良き空です。
山門楼上の「善光寺」という額には、漢字の書体に鳩の姿を模している
「鳩字」という字が使われているのは、飛んでる鳩が知ってか知らずか。

この山門の上には入場料500円で上ることができました。
予想以上に良い眺めで長野市内を遠くまで見渡すことができます。
内部には文殊菩薩、四天王像などがあり、
それぞれの謂れや歴史、深いお話を頂けました。


巨大なる山門をくぐると、いよいよまた巨大なる本堂。
ここはもちろん本尊(既に秘仏)を拝むのですが、
他にも、身体を撫でた箇所が病気の厄除けになる「びんずる様」、
(撫でられすぎたためなのかツルツルになっています。)
閻魔様、ぬれ仏、そして「お戒壇巡り」。

これは本堂の地下に下りて進んで上がってくるというものですが、
ただそれだけではなく、「明かり一つ無い真暗な闇」を進んで行くのです。
その暗闇といったら想像以上、漆黒・暗黒あらゆる黒の表現をもってしても足りない闇。
そこは"あの世"の世界と説明を受けます。そして、本尊の真下あたりに、
極楽浄土の入り口があり、その錠前を触ることができれば生まれ変われる、と。

さて、もちろんその戒壇めぐりに挑むわけですが、
これが行列が出来ていて連なったまま入っていき、皆口々に喋ったり、
関西弁のおっちゃんがかかって来た携帯電話にがなりたてるので緊張感激減。
それに途中でよく渋滞するので、前の人後ろの人が分かります。

しかしそれでいて、入り口出口の光も届かぬほどになると、
だんだん方向感覚が分からなくなってきて不安がこみ上げてきます。
暗闇が母体内の記憶を呼び覚まし安堵を与えるという説もありますが、
少なくともここで感じた暗闇には黄泉があるならこんな感覚かと思わせます。

そんな闇の中を無事に潜り抜けることができたのは、周りの皆がいたから。
そう考えればあの行列渋滞の戒壇巡りも、それはそれで学ぶものがあるのでは。
チリ落盤事故の生還の如く、やはり生きるためには「皆」を感じられることが重要だと思います。

戒壇めぐりを終えて外に出ると、もう日が陰っていました。
その傾いた陽に照らされた本堂と木々達の姿もまた神秘的です。
こうして何百年も陽が上り陽が沈んできたのですね。

本堂の北西には美しい外観の日本忠霊殿・霊廟/史料館があり、
そこにダライ・ラマから贈られた仏像と、
チベット僧達が描いた「砂の曼荼羅」が展示されていました。
それは見ないと!だって砂の曼荼羅大好きだもの。特に崩すところが。
長い長い時間をかけて描ききった瞬間に、一気に崩す。その潔さ。
ベルナルド・ベルトリッチ監督の「リトル・ブッタ」の砂曼荼羅を崩すラストシーンを見るために、
映画「リトル・ブッタ」を今まで5回見た男、それが僕です。


日が沈み、善光寺の今日の終わりが近づきました。
光りが消え行く名残惜しさとともに、この後、門前町の賑わいへと戻るのでした。

■信州 善光寺
  http://www.zenkoji.jp/

Loading