国ではなく人間が敵 ~ワルキューレ2009年04月17日 01時53分09秒

トム・クルーズ主演で第ニ次世界大戦末期の
アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件を描く
「ワルキューレ」についてのこと。

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<物語>
ドイツ軍将校シュタウフェンベルクは兵を思いやり、
ヒトラーのやり方に疑問を抱く人間だった。
ある時、彼は前線の爆撃により負傷、片目と右手を失う。
ドイツに帰国後、ベルリンの予備軍司令部に
勤務となった彼は反ヒトラー派のオルブリヒト将軍より
メンバーに加わる様に説得される。
そして、シュタウフェンベルクはドイツのためには
自分たちの手でヒトラーを倒すしかないと決意する。
彼らの立てたプランは「ワルキューレ作戦」。
ヒトラー暗殺と共に、側近達の逮捕、主要機関の掌握、
その後の新政府樹立までを視野に入れた大規模作戦だった。

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1945年の5月8日、ドイツのソ連への降伏から遡る
1944年7月20日の暗殺未遂事件を描く実話です。

トム・クルーズがドイツ人将校を演じることに、
ドイツ国内や関係者の遺族からも反発があったことは
この手の作品では当然と言えば当然です。
私も当初はドイツとは違う意味で、
トム・クルーズがドイツ人を演じられるのか?
という疑問がまずありました。

アイルランド人、ウェールズ人、イングランド人、
そしてドイツ人の血をひいてはいるそうなのですが、
あの白い歯を見せる笑い方はどうみても、
私の中のドイツ人の男からは遠い。

トム自身は良い人・良い役者なのですが、
どうも世間的には奇異の目で見られてしまうのは、
やはり恋愛・結婚歴と最近はサイエントロジーか。
1歳上のジョージ・クルーニーの浮名も
相当なものなのにあちらは株が上がる一方。
天はニ物も三物も与える代わりに
かなり損なものも与えてしまう様で。


それはともかくとして。
実際に出来上がってきたトム・シュタウフェンベルクは
それほど毛嫌いするほどのものではなく、
あの白い歯の薄ら笑いに近い笑みも封印し趣を変え、
使命感を宿らせた将校を好演しております。
実は足の短い彼だがそれも目を瞑る!

社会派も史劇もきちんとこなす
トムの演技はもちろんのことですが、
ブライアン・シンガーのシリアスな演出が大きいはず。
最近は「X-メン」「スーパマンリターンズ」ですが、
何しろその前はサスペンス・ミステリー映画で
騙し映画の傑作「ユージュアル・サスペツク」を製作。
「ゴールデンボーイ」でもナチに触れていました。

結末が反ヒトラー派の敗北とわかっている物語を
どう2時間の映画に料理するかと言えば、
やはり人間を描くドラマが常道。
ドイツという国のために使命を燃やす高潔な人、
作戦自体が賭けだというに賭けに出られない小心者など、
タイプの違う反ヒトラー派を配置し、
人間心理こそが最大の不確定要素とうことを描く。

シュタウフェンベルクの家族達も単に
暗く重いエピソードの中における愛や癒しではなく、
男がその命を賭けて守るべき者達として、
時には彼女達を守る為に永遠の別れを告げる者として、
シュタウフェンベルクが背負うもの、
精神的強さを支えるものとして描かれます。


重要なのはドイツの中に彼らがいたということ。
戦争だろうと外交だろうと敵は国ではなく、
人間だと言うことを改めて考えるべきなのです。

ドイツ国産の映画ではナチスに触れる映画は
正面から向き合うのは長らくタブーであったが、
戦後50年が経過した最近になってようやく、
冷静に見つめることができる様になった、
とは、「ヒトラー/最後の12日間」の日本公開時に
聞いたドイツ側の意見でありました。

そうであるならば例え海外からの視点に対しても、
斜めの視点ではなく正面から見ることもまた、
必要であるのかもしれません。
日本が海外から描かれるとファンタジーになりますが、
「ワルキューレ」を見る限りでは肯定と思います。

台詞のほとんどが英語であるという点は、
製作や配給の事情があってのことでと目を瞑りましょう。
繰り替えしですが、重要なのは彼らの様なドイツ人がいたこと、
いざというとき人間がどんな行動に出るかということ。
それが言葉の問題を越えると信じたい。
(ちなみに、「ワルキューレ」はドイツ語、
原題は「ヴァルキリー」と英語の綴りと発音)


豆知識になりますが、
「ハイル・ヒットラー!」と右手を真直ぐ上げるナチ式敬礼、
これが導入されたのはこの暗殺未遂事件の翌日、
1944年7月21日からだそうです。
とすれば、それ以前を描く物語でナチ式敬礼をしていたら、
それは間違いということか。
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