ゆがめられた世界統一 ~ウォッチメン2009年04月16日 23時31分44秒

1980年代半ばのアメリカン・コミックを原作とし、
「300(スリー・ハンドレット)」のザック・スナイダー監督の作
「ウォッチメン」についてのこと。

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<物語>
スーパーヒーローが公然と存在するもう一つの歴史。
コメディアン、ロールシャッハ、Dr.マンハッタン、
ナイトオウル、オジマンディアス、シルクスペクターの6人は、
かつてヒーローとして活躍していたが今は引退していた。
ある夜、コメディアンが何者かに殺される。
捜査機関とは別に独自に調査したロールシャッハは
「これはヒーロー狩りだ」と推測し、他の4人に注意を促す。
その頃、世界は米ソの核開発競争の結果、核戦争の危機に直面。
世界の終わりのタイムリミットを示す終末時計が12時まであと僅か。

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まず、「ヒーロー狩りだ」といっても、
謎のハンターに対してロールシャッハが奮闘する
痛快なアクションを期待する大作ではありません。
どちらかといえば思考に耽るための作品です。


昨今の「ダークナイト」「インクレディブル・ハルク」等の
影を持ったヒーロー同様、「ウォッチメン」もまた濃い影を持ち、
それは作品の世界そのものも色濃い影を放ちます。

ヒーロー達は引退した後、ナイトオウルは草臥れた中年、
シルクスペクターはDr.マンハッタンの恋人だが
彼の価値観を受け止めきれず、また母親とも関係がよくない。
オジマンディアスは大企業の社長、
Dr.マンハッタンは政府の任務についている。

最も複雑なのはDr.マンハッタンで彼は核実験の事故により、
あらゆる原子を操作できる能力を持つゆえ、
アメリカの必要とするエネルギーを彼一人で生み出し、
その力で生身で火星に飛んだり物を創造したりします。

それ故に、宇宙・時間・次元を超越する視点を身に付け、
言動は古代神か超自然的存在を思わせます。
ところがそれに至るまでには、ごく普通の人間から、
友人が遠ざかり奇異の目で見られ権力から利用され、
修行僧の様に価値観を変化させていきます。

彼をはじめ、他のヒーロー達も過去をモノローグで語り続け、
自らの行動や思想を問いかける様に回想し、
人間や社会に対しても疑問を投げかけます。
そして、オジマンディアスは人と世界に失望し、
平和のためにある計画を実行に移していきます。

原作が世に出たのは1986年~87年ですが、
同じ頃、1980年代の日本のアニメーションでも、
富野由悠季らが「機動戦士ガンダム」等で
人間と社会に対して悲観的・嘲笑的なキャラクラーを
創造していたとを考えると時代が生んだものではないでしょうか。
特にオジマンディアスは日本アニメにおける
シャア・アズナブルを初めとする失望から歪んだ粛清を望む
危険な人物達に通じる思想があると思います。
(余談ですが、この時代もノストラダムスブームが単発的に発生)

オジマンディアスの提唱する平和の未来は、
仮想敵を生み出し核戦争どころではない状態にさせ、
世界を一つの方向に向かわせるというものですが、
それは、ナチスのとった政策に類似する点でもあり、
アメリカの中東・北の仮想的構想でもあると思います。
(劇中に「あいつはまるでナチだ」という台詞が有り)

彼らの回想と問いかけはひたすらに暗いです。
ダークナイト」他のダークなヒーローブームでもありますし
ヒーロー不在の現在の未来を重ねることもできるでしょう。
ちなみに、現在の終末時計は2007年より、11時55分です。

ここ数年で映画化されたアメコミ作品よりも段違いに視点が広く
人間について世界について思索に耽りたくなる内容でありますが、
一昔前の自分で30分アニメならば思い切り頷きたくなりますが、
3時間近くの内容でこのトーンで淡々と一人語りをされるのは
流石に睡魔に襲われてしまいます。
どちらかと言うとDVD鑑賞向きかと思います。


なお、ラストシーンに登場するテレビ画面に
「これはテレビの故障ではありません・・・」から始まる
SFドラマ「アウター・リミッツ」の台詞が流れますが、
これはこのドラマの「ゆがめられた世界統一」が
影響を与えたとされることに対しての返答と見られます。
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