パンドラの希望 ~チェイサー2009年06月24日 23時09分36秒

- 獣にも憐みの心はある
しかし、私はそれを知らない。
故に、私は獣ではない。 -


シェイクスピアの「リチャード三世」の言葉であり、
アンドレイ・コンチャロフスキー監督の
1985年の映画「暴走機関車」のラストで引用されます。

批評家では本年度最高の作品との声が高い
超傑作韓国映画「チェイサー」を鑑賞しながら、
この言葉を思い出していました。


丘の斜面に拡がる比較的裕福とみられる住宅街の夜。
(この住宅街は「ボイス」「親切なクムジャさん
にも登場しなかったでしょうか?)

必死に逃げる男を執拗に追跡する男。
追う側は元刑事で現デリヘル経営のジュンホ。
逃げる側は連続猟奇殺人鬼・ヨンミン。

決して腕利きの訳アリ元刑事が現場に引き戻されたわけではない。
ヨンミンは裕福な住宅街に一人住みながら、
デリヘル嬢などを呼び出しては殺していた"獣"。
女性を監禁し痛めつけときにはバラバラにして死体を埋める。
今しがたもデリヘル嬢を呼んで浴室に閉じ込め
頭に大工道具のノミを打ちつけていた。

ジュンホはデリヘル嬢に情は無く商売道具と見做し、
客が規則外の要求をすれば手酷く痛めつけ示談金を巻き上げる。
病気で体調が悪いというデリヘル嬢のミジンを無理矢理行かせる。
ミジンの携帯には「ゴミ」と登録されていた"獣"

どちらも同情も救いようもない鬼畜な野獣です。


最近街ではデリヘル嬢が失踪する事件が続発。
ジュンホはまず、彼女達の逃走を疑い調査を開始、
最後の客の携帯電話番号がどれも一致することを突き止める。
さらに、ミジンを送った客の携帯番号とも一致した。

そしてヨンミンと偶然に出会ったジュンホは
直感を働かせ、コイツが犯人だと突き止める。
刑事としての直感と、あるいは"獣"の匂いを嗅ぎ取ったか。
かくして二人の壮絶なチェイスが開始されたのです。

といっても、序盤で繰り広げられるチェイスは
早々にヨンミンを捕らえ、警察に見つかることで終了します。
警察の尋問によりヨンジンは自分が女を殺したと自白。
愉快そうに微笑み、ミジンはまだ生きていると告げる。
自白はしたものの、殺人現場や監禁場所は明かさない。
さらに、彼は過去にも証拠不十分で釈放されており、
自白しても帰れる自信を持っていたのであります。
限り無く黒に近いよりも絶対に黒なのに、
証拠がなければ野獣を駆逐できぬ憤り!

そこから第2のチェイス。
釈放までの期限ギリギリまで証拠を探し回る刑事達。
いつ命尽きるかもしれぬヨジンを連れ戻すためにジュンホも走る。
このタイムリミットが刻一刻と迫る緊迫した展開と
ヨンジン役のハ・ジョンウの不気味な狂気は
これまた傑作の韓国映画「殺人の追憶」の
パク・ヘイル演じる容疑者を落とすための必死の闘いに匹敵します。

奮闘虚しくヨンミンは釈放。
そこからは警察ではないジュンホとの第3のチェイスです。
再び野に放たれた獣達の最後の闘いの緊張感と凄惨さは、
これまでもアクション水準は過激と評された一連の
ハードな韓国映画を遥かに凌駕する情念に満ちています。
ジュンホの憤怒、ヨンジンの狂気、警察の失意、ミジンの無念。


息つく暇も無く繰り広げられる物語に、
小さな光を灯すのはミジンの残した幼い少女。
チェイスの途中で彼女はジュンホと出会い、
意外なことにジュンホはこの少女と行動を共にします。

やがて少女も母親が帰らぬことになると知り
打付ける大雨の如き涙を流し、
耐え切れぬ体は悲鳴をあげて倒れます。
病院に駆け込み「この子を助けてくれ!!」と叫ぶジュンホ。

野獣の心にも憐れみがあった。
しからば憐れみの欠片も持たぬのは何者か。
我が子を想う執念で脱出した母の愛にも容赦は無い。
獣でもなければ何か。それが人間なのか。

「殺人の追憶」も実際の事件を題材にしていますが、
「チェイサー」にもベースになった事件があるというから恐ろしい。
息苦しさの中に僅かな希望があることが救いです。
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