水晶の様にくもり無きまっすぐな想い ~ウルトラミラクルラブストーリー ― 2009年07月15日 23時31分33秒

松ケンです。サンバです(←違う)。
松山ケンイチ主演、横浜聡子監督作品
「ウルトラミラクルラブストーリー」についてのこと。
青森の田園風景広がる田舎町。
じいちゃんから継いだ畑で農業に奮闘する水木陽人は、
ばあちゃんと二人で軽トラックで野菜を売っている。
ある日、陽人は町の幼稚園に産休の先生の代わりに東京から来た
神泉町子に出会い、彼女に恋をする。
そして、陽人の猛烈なアタックが始まるのだった。
と、聞けば小さな田舎の恋のメロディ。が、一筋縄ではいかない。
何しろ横浜聡子は「ジャーマン+雨」で
ゴリラーマンというあだ名の傍若無人女を主人公に据えて、
その子が成長するでもない心を入替えるでもない、
ただただ破壊の限りを尽くさせる強者。
それでいて、ギャグの連続では無く芯はきちっと通す。
「アグリー・ベティ」のベティは結局のところ、
回を重ねるれば"アバタもエクボ"で"心は美人"だというのに、
「ジャーマン+雨」のよし子は"アバタはアバタ"で
"心底傍若無人"であり、"心は美人論"に対する
「ンなわけねえだろ」な横浜聡子の高笑いが聞こえてきそう。
「ジャーマン+雨」は最近、レンタルでも並び始めたので、
ぜひとも鑑賞していただきたい。
さて、陽人("あきひと"ではなく"ようじん")は
破壊的、適当、おおざっぱ、直球、忘れっぽい等々、
(知的障害があるとは言え)周りが気を使わなければならない。
松山ケンイチ演じる彼が町子先生にピュアな恋をする。
麻生久美子演じる町子先生は、恋人を交通事故で失い傷心中。
しかも、その男は、一年半以上同棲していたにも関わらず、
浮気をしており、事故で死んだ時には浮気相手と一緒にいた。
男は首が飛んで(!)行方不明になり、今も見つからない。
男が何を考えていたか分からない町子は、
幼稚園の手伝いを口実に、この地の占い師にすがりに来たのだ。
陽人は幼稚園が終わるまで何時間でも町子を待つと言い、
園児の迎えが来るまで帰れない町子を無理矢理連れ出そうとし、
その強引さと手の付けられなさ(幼稚園児よりも)に閉口し、
相手をつかみ切れないままに振り回されてしまう。
しかし、彼には悪意は全く無く、純粋に彼女のことが好きで、
それに向かって包み隠さずまっしぐらで純粋なだけなのだ。
障害者が、心のままに行動する様の肯定・否定を問うた映画が、
リチャード・ギア主演の「心のままに」ですが、
「ウルトラミラクルラブストーリー」はそんな社会性とか、
世間に認められ難い弱者のピュアな恋とかさえ問題とせず、
脇目もふらずに、好きな女性に片思いする主人公を追います。
町子を散々困らせた後、陽人は思いつきで畑に首まで埋まり、
"キャベツやレタスの気持ち"にでもなったところで、
頭から農薬を撒かれてしまいます。
すると、彼の心に変化がおき、まっすぐで純粋なバイタリティは
そのままに、やや心が落ち着きを保つようになり、
町子もそんな陽人の方が好きだと言う。
すると、陽人は町子が好きな自分を保つ様にと、
日々農薬のシャワーを頭から浴び続ける様になります。
それは片思いの相手のためなら試練を厭わない純情。
ここまででも、まだまだ許容と理解の範囲。
ややこちらの理解が追いつかなくなってくるのは、
陽人の前に唐突に、町子の死んだ恋人"かなめ"が現れてから。
なんとこの男、首が無い。首は飛んでったままなのだ。
それでも陽人は無邪気に彼と話し、彼の靴を貰う。
"かなめ"はもう、町子になんの思いも抱いていないらしい。
見た人は陽人しかいないので、彼の妄想ともとれるが、
貰った靴には町子も気づき、現実が曖昧になっていく。
そして、農薬を浴び続けた副作用で陽人は死ぬ。
ところが、翌日、心臓が停止したまま普通の生活を送り始める。
その陽人を町子は観察日記をつける様に見守っている。
そしてそして、彼に二度目の死が訪れ・・・。
さてさて、そこから先の展開はなんとしたら良いのでしょう。
批評家先生達の中では今年度の邦画最高位としそうな評まで
あるもののの、我々平凡な観客はどうしたら良いものか。
うーん、と考えて。やめた。
いいではありませんか。これは映画で、これは
「ウルトラ」で「ミラクル」なラブストーリーなのだ。
考えることの放棄ではありません。感じることの幸せです。
陽人が町子先生に直向に猪突猛進的に恋する。
これで狡猾な計算があったらたまったものではないけど、
町子が言った些細な言葉を、真剣に受け止めて自分は進化しようと、
全く悪意なく、湿っぽさも無く、相手を想う。
なかなかそんなラブストーリー、
虚構でも現実でも探そうとすると無い。
小さな恋愛、現実に翻弄される恋愛、そんな映画も好きだけど、
ラブストーリーは、本来、ウルトラでミラクルが素敵なのだ。
素晴らしいタイトルじゃありませんか。
夕焼けの道を男女の片方が自転車を押しながら、
ゆっくり二人で語らいながら歩いていく。
定番ですが、この作品の松山ケンイチと麻生久美子で見るほど
微笑ましく素敵な情景は、しばらく見ていません。
我々の日常もそこまで突破できたらと、
何事にもめげない、挫けるという概念すらない陽人が
羨ましいそんな気にもなれるのです。
これはただの無理矢理なこじつけに過ぎませんが、
陽人の脳みそを喰らってしまうのが熊ですが、
ヒグマはアイヌの信仰ではキムン・カムイという
ヒグマの毛皮を纏った山の神とも言われている様です。
陽人は熊に喰われて超自然と一体化したのか?
松山ケンイチ主演、横浜聡子監督作品
「ウルトラミラクルラブストーリー」についてのこと。
青森の田園風景広がる田舎町。
じいちゃんから継いだ畑で農業に奮闘する水木陽人は、
ばあちゃんと二人で軽トラックで野菜を売っている。
ある日、陽人は町の幼稚園に産休の先生の代わりに東京から来た
神泉町子に出会い、彼女に恋をする。
そして、陽人の猛烈なアタックが始まるのだった。
と、聞けば小さな田舎の恋のメロディ。が、一筋縄ではいかない。
何しろ横浜聡子は「ジャーマン+雨」で
ゴリラーマンというあだ名の傍若無人女を主人公に据えて、
その子が成長するでもない心を入替えるでもない、
ただただ破壊の限りを尽くさせる強者。
それでいて、ギャグの連続では無く芯はきちっと通す。
「アグリー・ベティ」のベティは結局のところ、
回を重ねるれば"アバタもエクボ"で"心は美人"だというのに、
「ジャーマン+雨」のよし子は"アバタはアバタ"で
"心底傍若無人"であり、"心は美人論"に対する
「ンなわけねえだろ」な横浜聡子の高笑いが聞こえてきそう。
「ジャーマン+雨」は最近、レンタルでも並び始めたので、
ぜひとも鑑賞していただきたい。
さて、陽人("あきひと"ではなく"ようじん")は
破壊的、適当、おおざっぱ、直球、忘れっぽい等々、
(知的障害があるとは言え)周りが気を使わなければならない。
松山ケンイチ演じる彼が町子先生にピュアな恋をする。
麻生久美子演じる町子先生は、恋人を交通事故で失い傷心中。
しかも、その男は、一年半以上同棲していたにも関わらず、
浮気をしており、事故で死んだ時には浮気相手と一緒にいた。
男は首が飛んで(!)行方不明になり、今も見つからない。
男が何を考えていたか分からない町子は、
幼稚園の手伝いを口実に、この地の占い師にすがりに来たのだ。
陽人は幼稚園が終わるまで何時間でも町子を待つと言い、
園児の迎えが来るまで帰れない町子を無理矢理連れ出そうとし、
その強引さと手の付けられなさ(幼稚園児よりも)に閉口し、
相手をつかみ切れないままに振り回されてしまう。
しかし、彼には悪意は全く無く、純粋に彼女のことが好きで、
それに向かって包み隠さずまっしぐらで純粋なだけなのだ。
障害者が、心のままに行動する様の肯定・否定を問うた映画が、
リチャード・ギア主演の「心のままに」ですが、
「ウルトラミラクルラブストーリー」はそんな社会性とか、
世間に認められ難い弱者のピュアな恋とかさえ問題とせず、
脇目もふらずに、好きな女性に片思いする主人公を追います。
町子を散々困らせた後、陽人は思いつきで畑に首まで埋まり、
"キャベツやレタスの気持ち"にでもなったところで、
頭から農薬を撒かれてしまいます。
すると、彼の心に変化がおき、まっすぐで純粋なバイタリティは
そのままに、やや心が落ち着きを保つようになり、
町子もそんな陽人の方が好きだと言う。
すると、陽人は町子が好きな自分を保つ様にと、
日々農薬のシャワーを頭から浴び続ける様になります。
それは片思いの相手のためなら試練を厭わない純情。
ここまででも、まだまだ許容と理解の範囲。
ややこちらの理解が追いつかなくなってくるのは、
陽人の前に唐突に、町子の死んだ恋人"かなめ"が現れてから。
なんとこの男、首が無い。首は飛んでったままなのだ。
それでも陽人は無邪気に彼と話し、彼の靴を貰う。
"かなめ"はもう、町子になんの思いも抱いていないらしい。
見た人は陽人しかいないので、彼の妄想ともとれるが、
貰った靴には町子も気づき、現実が曖昧になっていく。
そして、農薬を浴び続けた副作用で陽人は死ぬ。
ところが、翌日、心臓が停止したまま普通の生活を送り始める。
その陽人を町子は観察日記をつける様に見守っている。
そしてそして、彼に二度目の死が訪れ・・・。
さてさて、そこから先の展開はなんとしたら良いのでしょう。
批評家先生達の中では今年度の邦画最高位としそうな評まで
あるもののの、我々平凡な観客はどうしたら良いものか。
うーん、と考えて。やめた。
いいではありませんか。これは映画で、これは
「ウルトラ」で「ミラクル」なラブストーリーなのだ。
考えることの放棄ではありません。感じることの幸せです。
陽人が町子先生に直向に猪突猛進的に恋する。
これで狡猾な計算があったらたまったものではないけど、
町子が言った些細な言葉を、真剣に受け止めて自分は進化しようと、
全く悪意なく、湿っぽさも無く、相手を想う。
なかなかそんなラブストーリー、
虚構でも現実でも探そうとすると無い。
小さな恋愛、現実に翻弄される恋愛、そんな映画も好きだけど、
ラブストーリーは、本来、ウルトラでミラクルが素敵なのだ。
素晴らしいタイトルじゃありませんか。
夕焼けの道を男女の片方が自転車を押しながら、
ゆっくり二人で語らいながら歩いていく。
定番ですが、この作品の松山ケンイチと麻生久美子で見るほど
微笑ましく素敵な情景は、しばらく見ていません。
我々の日常もそこまで突破できたらと、
何事にもめげない、挫けるという概念すらない陽人が
羨ましいそんな気にもなれるのです。
これはただの無理矢理なこじつけに過ぎませんが、
陽人の脳みそを喰らってしまうのが熊ですが、
ヒグマはアイヌの信仰ではキムン・カムイという
ヒグマの毛皮を纏った山の神とも言われている様です。
陽人は熊に喰われて超自然と一体化したのか?
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