雨の終わり晴れの始まり ~レイチェルの結婚2009年07月12日 23時58分46秒

主演のアン・ハサウェイが、
先の第81回アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた
レイチェルの結婚」についてのこと。


10年間、薬物治療のため施設の入退院を繰返し、
9ヶ月ぶりに家へと一時帰宅するキム。
2日後に結婚する姉のレイチェルの結婚式に出るためだ。

「レイチェルの結婚」というタイトルでありますが、
アン・ハサウェイが演じるのは妹のキムの役。

既に結婚式の準備は始まっており、
家には大勢の客が出入りして忙しく動き回っている。
再会を喜ぶ姉妹。父も娘を心配してやってくる。
実は両親は既に離婚しており、
実の父も母もそれぞれに現在のパートナーがいる。
花嫁衣裳に、料理の手配に、音楽家達の演奏に、
皆、花嫁と花婿の祝福ムードに沸いている。


キムも姉の結婚を心から喜び、
久しぶりに再会した面々に笑みをこぼす。
しかし、どこかその笑いはぎこちない。
9ヶ月の月日の隔たりもさることながら、
薬物中毒患者という腫れ物に触るような気遣いが、
キムには鬱陶しく、落ち着かない。
自分は"招かれざる客"なのではないか。

気遣う父親が過保護な監視者に思え、
自分には成れなかった付添人が疎ましい。
こんな想いを抱くためにくるはずじゃなかったのに。
そう自分を抑えるほどにキムの孤独が深まり、
ガラスの様に繊細な心が悲鳴をあげて爆発する。

幾度となき喧嘩を繰返し、結婚式に向けて物語は進行します。
そして明かされる、キムの人生を変えた日のこと。
実の母親との口論の果てに母を殴り、
外へ飛び出し車に乗り、ズタズタの心で
ぐしゃぐしゃに泣き腫らして道なき道を失踪し、
林の中の木に激突して気を失うキム。

翌日、憔悴しきって家に帰りついた、
触れただけで壊れそうなキムをレイチェルは
優しく労わる様にシャワーで洗ってやる。
キムの肩に掘られたタトゥーを見つけるレイチェル。
そこに掘られた最愛の人の名前。
彼女がいかに優しい心で人を愛し、
愛に心を押し潰されそうになっていたかが分かります。


彼女は平和を破壊する招かれざる客ではありません。
ただ、誰よりも繊細で傷つきやすく、
相手を誰より想っているのに、誤解されやすい生き難い人。

この結婚式の場に集う人々は誰も悪い人はいません。
皆がお互いを気遣い、人を愛して、
相手の痛みを自分も背負って生きています。
だのに何故、些細な誤解によってすれ違い、
相手を想う愛から始まったはずなのに、
相手を想う故に取った行動が相手を傷つけてしまう。
辛くて痛くて哀しくて、でもとても愛しい。


その想いを全部飲み込んで、
レイチェルと新郎がケーキカットのナイフを握る手に、
キムも母親も、家族の皆の手を添えさせて
皆でケーキカットをさせる瞬間はとてつもなく感動的です。
皆が過去を乗り越えようと向き合い、
大切な人が作る新しい家族の誕生を祝福するために一つになる。
素晴らしい。ただただ、素晴らしい。


結婚の儀を終え、歌を踊りを全身で楽しむ人々。
外国映画の結婚式が日本のそれよりも輝かしく見えるのは、
「神式にする?教会式にする?」などという
日本のファッション的な形式選びではなく、
民族や宗教に基づく伝統が続いており、
何よりも、"見せつけ"ではなく出席者全員が一体となって楽しむ
エンターテイメント精神が溢れているからではないか?
少なくともこの映画の式には退屈で形式的な挨拶は無い。

そんな中で、キムの心は既に賑やかな喧騒を離れ、
視線は宙を彷徨い、また別世界の異邦人へと戻っていく。
でも、もう彼女は一人ではありません。
姉夫婦とのハグ、母親とのハグ。世にも美しいハグ。
再生した絆、新たに生まれた絆を確かめて、
キムは翌日、そっと家をさろうとします。

そこへ、花婿の付添人の青年がやってくる。
「僕は、君の力になりたい」と。微笑で返すキム。
続いてレイチェルもお別れにやってくる。
キムは施設に戻らなくてはならない。
でも、もう彼女は一人じゃない。
離れていても、自分を想ってくれている人の存在を
いつでも感じていることができる。
それは紛れも無い幸福だ。


キムは帰り、爽やかな朝日の中、
レイチェルは庭に座り、向こうの夫を見つている。
しばらくの間、物思いに耽るレイチェル。
この2日間、いや、これまでの人生、様々な事があった。
でも、やっと区切りがついて、皆それぞれに歩き出した。
どんよりとした暗雲は去り、暖かい日が差してくる気がする。
私も歩き出さなければならない。

椅子から立ち上がり、ゆっくり近づいていくレイチェル。
飼い犬が足元にじゃれついてくる。
今、私は確かに幸せを実感している。そして皆も。


素晴らしい幕引きであり、幕開けではありませんか。
ただひたすら、素晴らしく、そして愛しい。
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