出会いと別れを繰返しながら ~それでも恋するバルセロナ ― 2009年07月11日 23時57分35秒

ウディ・アレン監督作品
「それでも恋するバルセロナ」についてのこと。
いつもならば私が見る傾向の映画ではありません。
少なくとも劇場に行ってまでは。
ウディ・アレンの作品で自分が観たものと言えば、
約50本ほどのフィルモグラフィのうち10本も無く、
2002年の「さよなら、さよならハリウッド」を鑑賞するとともに、
私自身も彼の作品からさよならする様に遠ざかってしまった。
最近はスカーレット・ジョハンソンが
彼のミューズらしいと聞こえてはくるものの、
私は彼女がそれほど好きではありません。
もちろん美人で実力もありますが、
異性に魅力を感じるアンテナが彼女に対しては
何も受信しないので致し方ありません。
「ママの遺したラヴソング」は良かった。
でもあれは、ジョン・トラボルタ先生を観に行った。
「ロスト・イン・トランスレーション」は素晴らしい。
でもあれは、ビル・マーレイを観に行った。
だから「ブラック・ダリア」も観ていません。
さらに、ペネロペ・クルスも眼中にありません。
最期の記憶は「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」。
元々ラテン系は女優・男優ともにアクが強くて、
彼女もその一人ぐらいにしか思っていませんでした。
と、いうよりも「オープン・ユア・アイズ」の頃の
彼女は消えてしまったのだと思っていた。
「それでも恋するバルセロナ」を鑑賞した理由は
先の第81回アカデミー賞でペネロベ・クルスが
助演女優賞を受賞したからに過ぎません。
一応、オスカー関連の作品は
全て劇場で見るように心がけていますから。
それでも今回は躊躇していたのですが、
あまりに批評が素晴らしいと褒めるものだから、
観念して観に行ってしまいました。
------------------------------------------------
夏のバカンスを楽しむためにバルセロナへやってきた
ヴィッキー(ペネロベ・クルス)と
クリスティーナ(スカーレット・ジョハンソン)。
ヴィッキーは結婚を間近に控えており、
クリスティーナは失恋したばかり。
ヴィッキーの親戚の家に滞在していた二人は、
画廊のパーティでセクシーな画家、アントニオと出会う。
最近、妻と壮絶な喧嘩を繰り広げ、妻が出て行ったらしい。
彼はいきなり二人を誘い、寝ても良いなどと臆面無く言う。
最初に誘いに乗るのはクリスティーナ。
彼女は諸々の苦悩を受け入れた先に崇高な愛があり、
そのためには冒険も辞さないと考えるが、
ロマンティシズムが先行して実体験が伴わず未成熟なだけ。
いざとなると、食中毒で倒れて動けなくなってしまう。
クリスティーナの療養中にヴィッキーは
アントニオと街を観光することになる。
彼女の方は婚約中ということもあるが理性的。
安定と平穏を良しとする彼女には、
異国の地でのアントニオの危険な魅力には刺激が強すぎ、
クリスティーナよりも先に彼と寝てしまう。
しかし、アントニオはヴィッキーを引き止めることはしない。
「深入りはしない。婚約者の下へ帰るんだ」と言う。
彼女の理解の範疇にない恋愛感に戸惑い、ヴィッキーは頷くも
これまでに感じたことの無い魅力のアントニオを知った今では、
婚約者のダグは良い人には違いないが、つまらない男に思えてならない。
それでも理性が強い彼女は振り払って結婚をします。
体調も万全、完全回復したクリスティーナは
アントニオとの恋を再会、彼と同居を始める。
ところが出て行った彼の妻・マリアが自殺未遂を起こし、
平静を取り戻すまで彼女も同居することに。
どんな波瀾が待ち受けているかと心配するが、
奇妙なことに、マリアはクリスティーナに興味を持ち、
アントニオとマリアの仲も上手く行くようになる。
三人は絵画に写真にと自身の芸術の才能も高めあう。
クリスティーナは凡人には理解できない理想的な三角関係で、
恋愛を超えた高潔な領域と思いかけますが、
それはあくまで彼女の妄想が描き出した理想図。
未成熟な心に不安がもたげたとき、崩壊が起きる。
彼女は自分で作った砂城を自分で壊し、勝手に去っていきます。
理想を抱きつつも今ある幸福に常に疑問を抱き、
持続させることを良しとせず全部捨てて行くタイプ。
三者から二者に戻ったアントニオとマリアは
激しい喧嘩の果てにマリアが再び出て行く。
その頃、ヴィッキーはダグとの平和ながら
刺激の無い新婚生活の中で、アントニオを思い出していた。
スペイン語学校の生徒に声をかけられて、
結婚を急ぎすぎた不安にかられる日々。
そして、またヴィッキーとアントニオは再会する。
今度は迷わなかったヴィッキー。
だがしかし、そこにマリアが銃を持って乱入。
暴発した銃で傷を負ったヴィッキーは二人に
"あんた達イカれてるわよ!"と絶叫しダグの元へ戻る。
今のところ刺激も面白みも無いけども
自分が求めていた平穏と安定の世界へと戻るヴィッキー。
やっぱりここにも自分の求めるものはなかったが、
次に出会うものを求めて前に進むクリスティーナ。
ウディ・アレンの視線はその先を見つめます。
アントニオとマリアが破壊者だったのか導きの師だったのか。
それはもっと後で振り返らないとわかりません。
いつかまた、ヴィッキーはダグとの夫婦関係に倦怠を感じて
幸せの形に疑問を持ち、刺激的な出会いを求めるかもしれない。
いつかまた、クリスティーナは理想的な関係に身をおいても、
その関係に疑問を持ち、全部捨てていくかもしれない。
二人は違うタイプの様で、危うさはよく似ている。
出会いと別れ。その度に人は成長していく。
その時は、雨と雷と暴風に晒され、実を結べなくとも、
人との出会いも別れも、その全てに意味があり、
いつか咲く花の、土と水と光になるから。
「それでも恋するバルセロナ」についてのこと。
いつもならば私が見る傾向の映画ではありません。
少なくとも劇場に行ってまでは。
ウディ・アレンの作品で自分が観たものと言えば、
約50本ほどのフィルモグラフィのうち10本も無く、
2002年の「さよなら、さよならハリウッド」を鑑賞するとともに、
私自身も彼の作品からさよならする様に遠ざかってしまった。
最近はスカーレット・ジョハンソンが
彼のミューズらしいと聞こえてはくるものの、
私は彼女がそれほど好きではありません。
もちろん美人で実力もありますが、
異性に魅力を感じるアンテナが彼女に対しては
何も受信しないので致し方ありません。
「ママの遺したラヴソング」は良かった。
でもあれは、ジョン・トラボルタ先生を観に行った。
「ロスト・イン・トランスレーション」は素晴らしい。
でもあれは、ビル・マーレイを観に行った。
だから「ブラック・ダリア」も観ていません。
さらに、ペネロペ・クルスも眼中にありません。
最期の記憶は「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」。
元々ラテン系は女優・男優ともにアクが強くて、
彼女もその一人ぐらいにしか思っていませんでした。
と、いうよりも「オープン・ユア・アイズ」の頃の
彼女は消えてしまったのだと思っていた。
「それでも恋するバルセロナ」を鑑賞した理由は
先の第81回アカデミー賞でペネロベ・クルスが
助演女優賞を受賞したからに過ぎません。
一応、オスカー関連の作品は
全て劇場で見るように心がけていますから。
それでも今回は躊躇していたのですが、
あまりに批評が素晴らしいと褒めるものだから、
観念して観に行ってしまいました。
------------------------------------------------
夏のバカンスを楽しむためにバルセロナへやってきた
ヴィッキー(ペネロベ・クルス)と
クリスティーナ(スカーレット・ジョハンソン)。
ヴィッキーは結婚を間近に控えており、
クリスティーナは失恋したばかり。
ヴィッキーの親戚の家に滞在していた二人は、
画廊のパーティでセクシーな画家、アントニオと出会う。
最近、妻と壮絶な喧嘩を繰り広げ、妻が出て行ったらしい。
彼はいきなり二人を誘い、寝ても良いなどと臆面無く言う。
最初に誘いに乗るのはクリスティーナ。
彼女は諸々の苦悩を受け入れた先に崇高な愛があり、
そのためには冒険も辞さないと考えるが、
ロマンティシズムが先行して実体験が伴わず未成熟なだけ。
いざとなると、食中毒で倒れて動けなくなってしまう。
クリスティーナの療養中にヴィッキーは
アントニオと街を観光することになる。
彼女の方は婚約中ということもあるが理性的。
安定と平穏を良しとする彼女には、
異国の地でのアントニオの危険な魅力には刺激が強すぎ、
クリスティーナよりも先に彼と寝てしまう。
しかし、アントニオはヴィッキーを引き止めることはしない。
「深入りはしない。婚約者の下へ帰るんだ」と言う。
彼女の理解の範疇にない恋愛感に戸惑い、ヴィッキーは頷くも
これまでに感じたことの無い魅力のアントニオを知った今では、
婚約者のダグは良い人には違いないが、つまらない男に思えてならない。
それでも理性が強い彼女は振り払って結婚をします。
体調も万全、完全回復したクリスティーナは
アントニオとの恋を再会、彼と同居を始める。
ところが出て行った彼の妻・マリアが自殺未遂を起こし、
平静を取り戻すまで彼女も同居することに。
どんな波瀾が待ち受けているかと心配するが、
奇妙なことに、マリアはクリスティーナに興味を持ち、
アントニオとマリアの仲も上手く行くようになる。
三人は絵画に写真にと自身の芸術の才能も高めあう。
クリスティーナは凡人には理解できない理想的な三角関係で、
恋愛を超えた高潔な領域と思いかけますが、
それはあくまで彼女の妄想が描き出した理想図。
未成熟な心に不安がもたげたとき、崩壊が起きる。
彼女は自分で作った砂城を自分で壊し、勝手に去っていきます。
理想を抱きつつも今ある幸福に常に疑問を抱き、
持続させることを良しとせず全部捨てて行くタイプ。
三者から二者に戻ったアントニオとマリアは
激しい喧嘩の果てにマリアが再び出て行く。
その頃、ヴィッキーはダグとの平和ながら
刺激の無い新婚生活の中で、アントニオを思い出していた。
スペイン語学校の生徒に声をかけられて、
結婚を急ぎすぎた不安にかられる日々。
そして、またヴィッキーとアントニオは再会する。
今度は迷わなかったヴィッキー。
だがしかし、そこにマリアが銃を持って乱入。
暴発した銃で傷を負ったヴィッキーは二人に
"あんた達イカれてるわよ!"と絶叫しダグの元へ戻る。
今のところ刺激も面白みも無いけども
自分が求めていた平穏と安定の世界へと戻るヴィッキー。
やっぱりここにも自分の求めるものはなかったが、
次に出会うものを求めて前に進むクリスティーナ。
ウディ・アレンの視線はその先を見つめます。
アントニオとマリアが破壊者だったのか導きの師だったのか。
それはもっと後で振り返らないとわかりません。
いつかまた、ヴィッキーはダグとの夫婦関係に倦怠を感じて
幸せの形に疑問を持ち、刺激的な出会いを求めるかもしれない。
いつかまた、クリスティーナは理想的な関係に身をおいても、
その関係に疑問を持ち、全部捨てていくかもしれない。
二人は違うタイプの様で、危うさはよく似ている。
出会いと別れ。その度に人は成長していく。
その時は、雨と雷と暴風に晒され、実を結べなくとも、
人との出会いも別れも、その全てに意味があり、
いつか咲く花の、土と水と光になるから。
最近のコメント