14歳から30歳へ。30歳から14歳へ。 ~「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」2009年07月01日 23時58分44秒

それは実に奇妙な感覚でした。


「新世紀エヴァンゲリオン」TV版の本放送時、
私は15、16歳といったところでした。

こちら(仙台)では放送していなかったので、
ビデオにて鑑賞がかなったのはそれより約1年ほど後。
丁度、本放送終了後の劇場版第1部の後あたりで、
実際に見ることになり、全編を旧劇場版まで全て通して
鑑賞を終えたのは17、18歳ぐらいのときでした。

そして、現在。30歳の私。
2007年「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」のとき、29歳。
2009年の今年、来月にはまた誕生日を迎えて
一歳年をとり31歳となろうとしている私が、
ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」を劇場で鑑賞しています。


奇妙なのは、TV放送当時、シンジ、レイ、アスカら
14歳の主人公達とほぼ同年代であった自分が、
(鑑賞した年でもまだ彼・彼女らの年齢に近い)
今では、彼らを見守る側のミサト、リツコ、加持らと
ほぼ同年代となっていることです。


数年前から例えばダニエル・ラドクリフらの、
子役達を観る自分の目線が、同世代視点の「共感」から
兄や親目線の「理解」へと移っていることを感じていましたが、
それが作品世界の大人たちとシンクロするようになった。

いや、登場する大人達の目線を理解する感覚は
既に他の作品を鑑賞することで体験していましたが、
旧作品の新約作品が作られるまでの自分の経験した年月が、
作品の中の大人達と同年齢となって出会うまでの年月となる、
そんな体験はこれまでに味わったことがありません。
そして、かつての共感は、大人達への「共感」へシフトします。


「辛いことを経験した人間は、本当に優しくなれる」


加持リョウジがシンジに向ける台詞は、
かつて、15、16歳の時に聞けばかっこいい台詞であり、
マセた思いでその通りと知った風な同意をしたでしょうが、
こちらもそれなりに、辛さ寂しさ切なさ哀しさ、
そしてささやかな幸せや温もりを経験してきた今では、
実感を伴って自分の胸を揺さぶり、
いつかそんな言葉を送るべき誰かを憂いた目線の先に想う。
(別に誰かがいるわけでもないけども)

かつて、自分が作品世界に観てきたかっこいい大人達。
それと同年齢になっていたことにまざまざと気づかされる自分。
彼らは自分よりもとてつもない経験をしてるとはいえ、
自分は全然未熟でかっこいい人生の言葉の一つも、
説得力を伴って発することのできないことに落胆します。

しかしながら、ミサトも加持も、新時代の作品の大人達は、
ほとんどが大人になりきれない未成熟な子供の面があります。
ならば、30歳にして未だ見苦しく未成熟な自分でも、
少しは大人に近づいているのでしょうか。


共感してともに成長の道を歩んでいたはずの少年達は、
再び時間を巻き戻され再度出発点へ。
彼らを理解する見方になった私は少年達への共感へは戻れず、
むしろ、同年になった大人達の隣で彼らの方へ共感している。
無論、同じ様に感じられると思える様になっているだけで、
大人達の感覚を理解するところまでは行ってはいません。

相手や自分のことを「分かる」というのは、
リアルタイムに分かるのではなく、
遅すぎるくらいの頃にやっと分かるのでは?とさえ思う。

・・・・・・・・・。



「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」を鑑賞している間、
新キャラクター・マリやアスカとエヴァ弐号機、
新型エヴァ、劇場版だけの新展開に魅せられつつも、
そんな奇妙な感覚と思索にふけっていました。

それは、TV版当初から予定されていた緻密かつ
壮大な計算のようにすら思えてしまうほど。


無論、話の展開は鮮烈に記憶に残っています。
まずよく動くアニメだと感じ、
輸送機から投下・飛翔するエヴァ弐号機、
地上を走る初号機、その動きの美しさに涙が溢れます。

登場人物達の豊かな表情も素晴らしい。
表情とは顔だけではなく、手を降り足を動かし、
身体を捻り、静かに佇み、視線の先に感情を写すこと。
表情の変化に乏しいという綾波レイですら、
一人の人物としての存在感をそこに確立させています。
それがこの「新約エヴァ」が平凡なアニメと違う点です。

潮の匂いと土の匂い。
さり気ないですが、彼らの生きている気配がします。
風の匂いもいつか感じられるのでしょうか。

とあるアニメ作品にて、昨今よく見られる淡白な作画の、
色合いや表情が薄く、いかにもリアルな空気感を出したつもりで、
ヘアカットのマネキンヘッドが並んでるがの如く
人間性の無い絵に魂の無い声が当てられただけの、
ぞっとする絵が散見されるのとはえらい違いです。

物語は新キャラ・新生使徒の登場とともに、
TV版との重要度の上昇・低下により
それぞれの担う役割を別の人物にシフトさせていきます。
しかし、それでも物語の演者が変わるというくらいでしかない。

そう思いかけた最後の闘いにおいて、まさに物語の「破」が起こる。
いや、「破!」「破!!」「破!!!」「破!!!!」と続く。
あと一枚!とマリがぶち破ったATフィールドは、
そのまま旧約エヴァたるものの壁だったのか?


かろうじて旧劇場版的雰囲気を匂わせながら、
次回はどう終結させていくのか。
そして、おそらくこのペースなら公開は2011年か2012年?
その頃までにまた私は様々なことを経験しているはず。
その時、どんな気持ちで少年少女達を、
大人(になりきれない大人)達を見つめているのか。
作品の行き先と、その時の自分達が幸福であることを。
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