混沌豪州海 ~未公開映画祭「マッド・ムービーズ ~オーストラリア映画大暴走~」2010年11月30日 23時59分47秒

さて、「松嶋×町山 未公開映画祭」の作品を観始めています。
既にお伝えしたようにこの映画祭はWEB上で開かれている、
開催場所の無い映画祭でPCからいつでもアクセスできるのが強み。
39作品一括購入のダウンロード期限は来年1月の半ば過ぎまでなので、
12月中の映画鑑賞はほぼこれとの競争になる見通し。


最初はこれ。

「マッド・ムービーズ ~オーストラリア映画大暴走~」
■原題:Not Quite Hollywood
■2008年 アメリカ/オーストラリア作品
■監督:マーク・ハートレイ

■作品紹介ページ
 http://www.mikoukai.net/011_not_quite_hollywood.html


作品には冒頭と終了後に町山氏の解説が付いています。
それによるとこの作品は、オーストラリア映画史めいたものが作成された際に、
綺麗な映画などばかり紹介されていたことにハートレイ監督は憤慨。
「オーストラリア映画のクソッタレな部分をきちんと見やがれ!」
という自分自身が鑑賞者だった頃の記憶を大事に燃やし、
オーストラリア映画の暗部であり、かつ真の部分である血と暴力とエロの
本当の豪州映画史をしっかと刻印する想いから始まったらしい。

1970年~80年代に製作されたオーストラリア製B級映画の映像と
当時のスタッフ・キャスト、そしてファンへのインタビューの織り交ぜ。
当然ながら資金不足だったハートレイはクエンティン・タランティーノに
メッセージをしたためて作品への協力をお願いした。
町山氏によると、「どうせ相手にされないだろう」と思っていたところ、
即日に熱狂的快諾の返事が来て製作が動き出したということですが、
まあ、ハートレイにはそれなりの計算があったのだと思います。
少なくともタランティーノならば食いつくことは、容易に狙えたでしょうしね。


さて、そのスタッフ・キャスト達からは「クソ野郎」「サイテー」「クズ」
「物語なんてあったもんじゃない」等々、どれだけの貶し言葉が放たれたことか!
賞賛の言葉で興奮しているのはタランティーノやジェームズ・ワン等ファン達だ。
当事者達は今でこそ笑い話風に語れる様になっているとはいえ、
形式としての褒め言葉は殆ど発せられていないことが、現場の壮絶さを物語る。

もちろん、その言い方には型通りに捉えられない多面的かつ重層的な意味がある。
"バカ""アホ"に籠められる愛情が温かみを持つことが確かにあるという類です。
そこにはエロに塗れ、ゲロに塗れ、血に塗れ、爆炎に塗れた歴史を潜り抜けた、
生傷だらけの猛者たちの顔が勇者達の如く並んでいました。

その「サイテーの野郎だ」という言葉が、オーストラリア人のみならず
香港からやってきたジミー・ウォングにまで向けられていたのには苦笑する。
敵役のジョージ・レイゼンビー(2代目ジェームズ・ボンド)の口から、
「人に対する敬意が全く無い」などと苦々しく唾棄すべき奴の如く語られ、
スタッフ間でもとっちめてやろうと計画が持ち上がったらしい。

ジミー・ウォングと言えば後の香港映画界の重鎮で、
「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」などの片腕ドラゴンを務め、
以降の後輩達から尊敬を集めているインタビューを目にしたこともありますが、
全く正反対の評価をされて、その言葉には愛情も篭もってないので可笑しかった。

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ジミーは問題のオーストラリアでの仕事「スカイハイ」では出演した監督をも
演技ではなく本気でボコボコに殴って血や鼻血を吹かせていたという。
その頃の香港アクションと言えば身体も張りに張りまくっていたはずで、
おそらくジミーも香港での仕事のやり方をそのまま現場に持込んだのではないか。
何しろ香港は、チャウ・シンチーが無名時代に子供番組にでた際には、
子供を子供と思わぬ態度で人気を博したなどというお国柄だ。
危険なことをやるのにかけては豪州人より香港人の方が一枚上手だったのだと思う。


第一部「エロ」、第二部「殺人鬼」、第三部「爆発」というように分けられてますが、
エロはほんのおさわり、二部からが三部が本番で監督の熱が篭もっているのがよくわかり、
タランティーノも第一部にはほとんど語りで登場しない。
代わりに、プロデューサーのジョン・ラモンドが自慢げに語っている様子を
ストリッパーのポールダンスの前で捉えてるなんざインチキ臭くていいネ。
大体、タランティーノは足フェチ&着エロですからね。モロはあの人じゃないです。
「カーチェイスで××できるぜ!」としなくても良い自慢?をぶちまける。
あらためて、「デス・プルーフinグラインドハウス」を振り返ると、
オーストラリア風カーチェイスの味が色濃く反映されているのがよく分かりますね。

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ホラー&スプラッタは壮絶かつ抱腹絶倒。知的で品のあるヒッチコック映画が好きな奴が
リスペクトを捧げておいてどうやったらそうなるんだ~、という「パトリック」を完成させ、
勝手にイタリア(パクリ映画王国)に続編を作られたと言いつつ、
自分達もイギリスの「ハウリング」の続編を勝手に作っていたというし、
アメリカじゃ何の関係もない豪州映画を「ハロウィンの翌日」などという題で公開するとか、
もう、各国ともに人のこととやかく言えた立場ですかアナタタチなやりたい放題に、
あきれるよりもそこまで開き直れる自由に喝采を叫びたい。

マッドマックス [DVD]
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作品は、エロとゲロ→血とオカルト→暴力と爆発、と人間の根源を正直に辿る様を映し、
B級低予算映画がヒットを飛ばして認知度を高めることになると、
その精神を解さずに群がってくる資本家達の介入と衰退が始まる様子までを追い続け
そして、かつて異様な何かを見た記憶を忘れられないクリエイター達へ希望を託していく。
「マッドマックス」のメル・ギブソンの栄光などアッサリ触れる様は素晴らしい。

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それにしても、映像資料として取り上げられる血と暴力と殺戮とエッチの氾濫にも、
「ジャンボ墜落 ザ・サバイバー」「悪夢の系譜/日記に閉ざされた連続殺人の謎」
「マッド・ドッグ・モーガン/賞金首」や巨大野ブタ暴走映画など「見たい!」と思うし、
オリビア・ハッセーがナタを振り回して大男の手首に振り下ろす映画など、
パパラッチ根性を抜きにしても見たい衝動を抑えられるものでもあるまいて。
タランティーノが「火だるまのシーンで子供は喜ぶ!」と狂喜すると、
子供に見せるかどうかは別として「まあそうだよなあ」と深く同意をしてしまうし、
大きな子供のこちらは実際に血が沸き肉が踊るのである。


さてさて、クリエイター達にはこれをアクション映画・ホラー映画の教科書として、
是非一度鑑賞していただきたいと思いますが、我々観客はどうすればいいか。
答えは簡単かもしれない。物語もへったくれもないならば、哲学の欠片もない。
ならば、我々もまたそれ以上何も考える必要はない。
それを受け入れたところで、"お上品"映画を見れなくなるわけではない。

中世の優雅なる芸術家達は麗しき創作を続ける一方で
変態の全盛期を築きあげもしたというのはタモリの談ですが、
映画も人生を動かし世界を動かす一方で、如何わしく刹那的でもあります。
そのどちらも受け入れることは少しも矛盾ではありません。

それにしても、B級映画をいくら褒めようとしてもやっぱり駄目なものもあります。
いや、むしろそんな映画の方が一番多いのかもしれない。
ここで取上げられた低予算B級映画の"名作"とどう違うというのか。
型通りに、そこに籠められた情熱の深さということなのか。
「名作となるには決定的瞬間が1つある」という一言がヒントかもしれない。

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