南三陸町戸倉 「波伝谷に生きる人びと」 上映会その1 ― 2011年12月03日 23時28分46秒
風強く吹き荒れる12月3日、4日、僕は南三陸町にいました。
ここは、宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷(はでんや)。
ここは、宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷(はでんや)。
普通の人にはほとんど知られてはいないと思われるこの小さな漁村は、
(僕がここを知ったのはつい2ヶ月程前で、その漢字を見たとき、
「これは何と読むんだ?」と思ったくらいでした。)
仙台市内からは国道45号を多賀城、塩釜、松島、東松島、石巻を過ぎ、
気仙沼に向って北上を続け、志津川湾に出たところで、
神割崎方面に向う道に分かれて、志津川湾の南側の海岸線沿い、
志津川自然の家の西方にありました。
(僕がここを知ったのはつい2ヶ月程前で、その漢字を見たとき、
「これは何と読むんだ?」と思ったくらいでした。)
仙台市内からは国道45号を多賀城、塩釜、松島、東松島、石巻を過ぎ、
気仙沼に向って北上を続け、志津川湾に出たところで、
神割崎方面に向う道に分かれて、志津川湾の南側の海岸線沿い、
志津川自然の家の西方にありました。

いまのところ、僕はそういう地理的なこと以外は詳しくは説明できない。
「ありました」という通り、現在は以前の姿では無くなっているのです。
東日本大震災の津波によって壊滅的被害を被った町や村を、
たとえ99%の家屋が全壊していても「消えた」というのは躊躇いがある。
暮しを営んでいた人々はそこにその周りにいるのですから。
たとえ99%の家屋が全壊していても「消えた」というのは躊躇いがある。
暮しを営んでいた人々はそこにその周りにいるのですから。

現在、約200人の波伝谷の人達は近くの山の上に建てられた仮設住宅と
その近辺に分かれて生活をし、村の再生を目指しています。
あの直後はおそらく残っていたかもしれない破壊された家屋はもうなく、
家の土台だけが残り、破片も砂にのまれようとしています。
どこでもそうですが、海岸に詰まれた土嚢の壁を見るたびに、
こんなもので役に立つのだろうかという思いが湧き上がってくる。
その近辺に分かれて生活をし、村の再生を目指しています。
あの直後はおそらく残っていたかもしれない破壊された家屋はもうなく、
家の土台だけが残り、破片も砂にのまれようとしています。
どこでもそうですが、海岸に詰まれた土嚢の壁を見るたびに、
こんなもので役に立つのだろうかという思いが湧き上がってくる。
近くの交通手段だった電車も気仙沼線・陸前戸倉駅が壊滅、
国道45号線には仮設コンビニがあるものの店舗被害も大きく、
石巻方面は途中で寸断され、桃生へ迂回せざるを得ない。
やはり小さなところのためか、まだ先はわからないようです。
震災前のこの村については、多賀城市にある
東北歴史博物館にアーカイブとして保存されている、
同館と東北学院大学文学部民俗学政岡ゼミナールが編集した
2008年刊行の民俗学調査報告書、
「波伝谷の民俗-宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相-」が詳しい。
210ページの全ページPDF化された報告書全文がWEBで読めるので、
ご興味のある方は是非読んで頂けれたらと思う。
■東北歴史博物館
http://www.thm.pref.miyagi.jp/index.html
さて、僕が波伝谷のことを知るに至ったいきさつは、
その報告書を作成するにあたり現地で調査を続けた、
先の民俗学ゼミの学生の一人だったある男がきっかけでした。
その人の名前は我妻和樹。
彼は民俗学ゼミの学生として他の学生達とともに波伝谷に入り込み、
当時は年中行事の獅子舞などを調査していたということですが、
それを通じて波伝谷の人々とその社会に興味を抱いていく。
当時は年中行事の獅子舞などを調査していたということですが、
それを通じて波伝谷の人々とその社会に興味を抱いていく。
僕は民俗学については学生時代に単位稼ぎに齧った程度で、
教室での講義を受けたのみですが、この学問は現地に入り込んで、
地域に密着して調べていくということをそこで聞いていました。
教室での講義を受けたのみですが、この学問は現地に入り込んで、
地域に密着して調べていくということをそこで聞いていました。
話を我妻氏のことに戻します。彼にはもうひとつの一面がありました。
映像表現に興味を持っていたことです。
そこから彼は、学校を卒業後、アルバイトをしながら資金を作り、
波伝谷の人々と社会を撮影したドキュメンタリー映画を作りはじめます。
彼の用意した手元の資料では4年前からということです。
その間、ずっと現地に通い、ときには泊り込み、
現地の人々と信頼関係を築き、そしてカメラを回し続けました。
その間、ずっと現地に通い、ときには泊り込み、
現地の人々と信頼関係を築き、そしてカメラを回し続けました。
意図したものではないにしろ、今ではその映像は、
震災前の波伝谷をとらえた貴重なものとなっています。
震災前の波伝谷をとらえた貴重なものとなっています。
そして彼はそれらをいよいよ形にまとめあげることに挑みました。
まずは、三章構成の作品を完成させること。
そして、波伝谷のアルバムも写真も残せなかった人にとっては、
数少ないものとなるこの映像を恩返しとする意味もこめ、
現地での試写会を開催することを決めました。
まずは、三章構成の作品を完成させること。
そして、波伝谷のアルバムも写真も残せなかった人にとっては、
数少ないものとなるこの映像を恩返しとする意味もこめ、
現地での試写会を開催することを決めました。
実は、このブログで紹介した11月13日の右岸の羊座での上映会は、
この現地試写会を運営するスタッフに向けた上映会だったのです。
13日にはこの現地上映会を成功させるために集まった、
学生と震災後に現地で活動したボランティアの方々が参加しました。
そして現地上映会には、他のボランティアの方々も、
この上映会のために再び続々と集まって来たのです。

僕はある縁で我妻氏に呼びかけられ、
上映委員会にスタッフとして参加させて頂きました。
その上映会の模様は次の記事でお届けします。
上映委員会にスタッフとして参加させて頂きました。
その上映会の模様は次の記事でお届けします。
そして、12月24日にもまた上映会が開かれるのです。
シネマカフェ「右岸の羊座」で上映会 ― 2011年11月13日 23時18分44秒
13日は朝から広瀬川畔のシネマカフェ、右岸の羊座に行きました。

このカフェができたのは2年ほど前で、シネマカフェの名の通り、
映画関係の本やDVDがあるのは勿論のこと、
上映会、ミニライブ、読書会などなど文化系イベントが行えるため、
テレビ番組やタウン誌などで時折取上げられていました。
映画関係の本やDVDがあるのは勿論のこと、
上映会、ミニライブ、読書会などなど文化系イベントが行えるため、
テレビ番組やタウン誌などで時折取上げられていました。
また、僕が通院する病院の近くであることもあって、
以前から興味があったのですが、いかんせん駐車場が近くにない。
車が移動のメインになる身としては、なかなか難所なのでした。
以前から興味があったのですが、いかんせん駐車場が近くにない。
車が移動のメインになる身としては、なかなか難所なのでした。
しかし、映画を血肉に生きる人間としてそこに行かずしてどうする。
そんな長きこと恋焦がれる場所に、とうとう行くこととなったのは、
友人が監督した映画の上映会をここで開くためでした。
人を動かすきっかけは、やはり、人なのです。
その映画は、友人が3年の月日をかけて南三陸町のある小さな漁村で、
現地に入りこみ地域の人と交流を深めて取り続けたドキュメンタリー。
現地の風景、そこで暮らす人々を映像に収めた貴重な作品であり、
また、カメラを回し続けた彼の人生の一片とも言うべき作品です。
彼は近日、その現地で、カメラを向けてきた人達へ上映会を行います。
この日はその来るべき日のための試写会というわけでした。
この日はその来るべき日のための試写会というわけでした。
既にメディアで伝えられているように、南三陸町は壊滅的な被害を受けました。
国道45号線沿いには、町の中枢機関の仮庁舎であるプレハブ棟が建っています。
その漁村の人々も、近隣の仮設住宅で暮らしています。
人々の故郷を映像のなかに焼き付けることは意味のあることです。
映画「エクレール/お菓子放浪記」でもそれは証明されています。
あの現地での披露試写会の場での、不思議な温かい空気は忘れません。
映画「エクレール/お菓子放浪記」でもそれは証明されています。
あの現地での披露試写会の場での、不思議な温かい空気は忘れません。

映画が何をできるのか。何をすべきなのか。
それはあの日以降、あるところでは考え続けられ、
またあるところではすでに忘れられもしています。
それでも、各々ができることを信じて活動を続けています。
それはあの日以降、あるところでは考え続けられ、
またあるところではすでに忘れられもしています。
それでも、各々ができることを信じて活動を続けています。
この作品は、"何を見せてくれる"のでしょうか。
僕も微力ながら、現地での上映会をお手伝いをさせて頂きます。
作品の内容は後日またこのブログでもお知らせします。
僕も微力ながら、現地での上映会をお手伝いをさせて頂きます。
作品の内容は後日またこのブログでもお知らせします。

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シネマカフェ 「右岸の羊座」
ブログ:http://www.hitsuji.info/
■住所 :宮城県仙台市太白区越路1-3-1F
■定休日 :木曜
■営業時間:11:00~20:00
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シネマカフェ 「右岸の羊座」
ブログ:http://www.hitsuji.info/
■住所 :宮城県仙台市太白区越路1-3-1F
■定休日 :木曜
■営業時間:11:00~20:00
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国道45号線沿いの光 ― 2011年11月06日 23時28分44秒
気仙沼に行く日の途中のこと。

三陸自動車道を桃生津山で降りると国道45号線沿いに、
道の駅 津山、別名「もくもくランド」があります。
看板はもくもくハウスですが。
もくもく、というのは「木」の「もく」。
ここでは食器や小物入れ、おもちゃやオルゴールなど、
香りや丸みが温かい、木細工が多く販売されています。
道の駅 津山、別名「もくもくランド」があります。
看板はもくもくハウスですが。
もくもく、というのは「木」の「もく」。
ここでは食器や小物入れ、おもちゃやオルゴールなど、
香りや丸みが温かい、木細工が多く販売されています。
実は最近、仙台市内にアンテナショップができたそうです。
仙台駅東口のアンパンマンミュージアムのそば。
仙台駅東口のアンパンマンミュージアムのそば。
「道の駅」にはお食事処もありますが、10年ぐらい前にきたときは
それほど賑わっているとは思えないところでした。
しかし、現在は何度か足を運んでもその度に休憩の車が多い。
この先の道の変化が影響しているのでしょうか。
この先の道の変化が影響しているのでしょうか。
その先の志津川。少しだけ思い出のあるサンポートというビルの辺りは、
「もう何にもないなあ」という印象しかありません。
かつては町があったところに、今は作業員の人達だけがいます。
あの人達はどんな気持ちで毎日この光景を見ているのでしょうか。
「もう何にもないなあ」という印象しかありません。
かつては町があったところに、今は作業員の人達だけがいます。
あの人達はどんな気持ちで毎日この光景を見ているのでしょうか。

そんなか、仮設店舗で営業しているセブンイレブン。
急造のプレハブで、トイレは外の仮設トイレと消毒液使用。
店内に入ると仙台とさほど変わらない品揃えに驚きます。
しかもワンピースグッズキャンペーンまでしっかりやっており、
クジでグラスを引き当ててしまいました。複雑です。
急造のプレハブで、トイレは外の仮設トイレと消毒液使用。
店内に入ると仙台とさほど変わらない品揃えに驚きます。
しかもワンピースグッズキャンペーンまでしっかりやっており、
クジでグラスを引き当ててしまいました。複雑です。
歌津という場所。ここにはかつて知人の家があり、
昔は夏など時々遊びに来ていたものですが、
今はそこに続く道すら残っていませんでした。
川の脇で崩壊しているのは線路の橋桁部分です。
昔は夏など時々遊びに来ていたものですが、
今はそこに続く道すら残っていませんでした。
川の脇で崩壊しているのは線路の橋桁部分です。
気仙沼線の歌津駅は小さな駅でしたが、
現在は線路とともに使用不能の状態になっています。
現在は線路とともに使用不能の状態になっています。
海岸が道路のすぐ傍まで来てしまった場所や、
満潮時に冠水するようになった地域などを横目に運転していると、
胸を寒風が吹き抜けていくような気がします。
何年も前から道路脇に立つ「今、波に乗る〇〇」
というキャッチコピーが遠くから奇妙な音で響いてくる。
満潮時に冠水するようになった地域などを横目に運転していると、
胸を寒風が吹き抜けていくような気がします。
何年も前から道路脇に立つ「今、波に乗る〇〇」
というキャッチコピーが遠くから奇妙な音で響いてくる。
しかし、位置は少し戻りますが、
ある人に教えてもらったこんな光景がありました。
一見すると折れた古木なのですが・・・。
遠くから見ると、冠を被って手を合わせた観音様に見えないでしょうか。
地元の方や、ここを通過する人達からもそう言われてるそうです。
地元の方や、ここを通過する人達からもそう言われてるそうです。
見る人の気持ちがそう形作るのかはわかりませんが、
こういう光景、というよりも、そういう気持ちが
あちこちで生まれていることを願っています。
こういう光景、というよりも、そういう気持ちが
あちこちで生まれていることを願っています。
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