反骨と知性とユーモアと 「ブラック・コメディ ~差別を笑い飛ばせ!~」 ― 2011年01月04日 22時57分54秒
新春の初笑いということで、未公開映画祭もコメディで。
「ブラック・コメディ ~差別を笑い飛ばせ!~」
についてのこと。
原題:Why We Laugh:Black Comedians on Black Comedy
2009年 アメリカ(90分)
監督:ロバート・タウンゼント
2009年 アメリカ(90分)
監督:ロバート・タウンゼント
本作はアメリカ国内における黒人コメディアンの活躍と台頭の歴史を軸に、
黒人のメディアへの露出と差別と社会的地位の変化を追うものです。
アメリカはとてもひとくくりにすることはできません。
僕らはどうしても白人の作り上げたものをアメリカとして思い浮かべますが、
黒人の歴史と文化を学べば学ぶほどに、白人と比肩するほどの
壮大なスケールを築いてきたことを思い知らされます。
僕らはどうしても白人の作り上げたものをアメリカとして思い浮かべますが、
黒人の歴史と文化を学べば学ぶほどに、白人と比肩するほどの
壮大なスケールを築いてきたことを思い知らされます。
彼ら黒人の多くは白人に虐げられながらも独自の文化や精神を守り、
影響しあいながらも染まることはなく発展してきました。
白人と黒人がいてアメリカがはじめて一体となるかのように。
アメリカで活躍する有名な黒人の方々を思い浮かべると、
コメディアンであるかないかに限らず多くの点で共通するのは、
類まれなユーモアのセンスを持っているということ。
真面目で押し通されているのはデンゼル・ワシントンぐらいか。
モーガン・フリーマンは素晴らしく知的な笑いを振りまいてくれる。
僕らの世代と合致するのはエディ・マーフィやクリス・タッカーですが、
この映画には遥かに偉大な先人として紹介される方々が大勢います。
僕があまり知らない、といいますか芸に触れる機会が無ありませんでした。
映画の中でも、エディの笑いには社会性は無い(貶しているわけではない。)
と評される様に、僕は黒人のコメディというとマシンガントークで捲くし立てる、
目を剥いて奇声をあげたりニヤニヤクネクネしたりというイメージで、
エディの「ナッティ・プロフェッサー」などの下ネタは好みではないのですが、
それはごく一面に過ぎないことがこの映画を観ると伝わってきて、
エディがどんなに凄いコメディアンなのか認識を新たにできます。
と評される様に、僕は黒人のコメディというとマシンガントークで捲くし立てる、
目を剥いて奇声をあげたりニヤニヤクネクネしたりというイメージで、
エディの「ナッティ・プロフェッサー」などの下ネタは好みではないのですが、
それはごく一面に過ぎないことがこの映画を観ると伝わってきて、
エディがどんなに凄いコメディアンなのか認識を新たにできます。
エディはやや一線から引き、現代のスターとしてクリス・ロックが登場。
僕は彼の舞台トークを始めて聞きましたが、時事・社会ネタを織り交ぜ、
新聞を1日に3度読んでいる勤勉家なのだそうで、
そんな知的な男とは知りませんでした。
クリス・ロックとクリス・タッカーの区別が付かない様な方や、
黒人は皆同じ様に見えるなどと未だにのたまう方は是非見るといい。
黒人は昔、テレビや映画に出ることはできませんでした。
登場する黒人は白人が黒い化粧をして出ていたのです。
そして黒人の姿を真似た役者達は「おら何もわかんねえだ」と言わんばかりの、
アホでマヌケなアメリカ黒人を演じて笑いものにしています。
(今ではそれは白人の方ですね。ムーア先生。)
しかし、黒人コメディアンはそんな差別的な状況を笑いのネタにすることで、
黒人の間に笑いを通じて人気と支持を獲得していきます。
ビル・コスビー、ディック・グレゴリー、リチャード・プライアー、
キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ、ウーピー・ゴールドバーグ・・・。
黒人の間に笑いを通じて人気と支持を獲得していきます。
ビル・コスビー、ディック・グレゴリー、リチャード・プライアー、
キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ、ウーピー・ゴールドバーグ・・・。
僕は黒人が「どんな車に乗ってますか?」と聞かれて
「もちろん、リンカーン」と反すギャグで爆笑するのですが、
1.政治・社会をネタにする
2.親兄弟のことをネタにする
というタイプが大体あり、共通するのは観客をどんどん巻き込んでいくこと。
ユーモアセンス以前に豊富な知識と語彙に満ちていること。
その時代を生きた人は「観客を巧みに教育していた」といいます。
日本では爆笑問題や綾小路きみまろが近い様な気がしますが、
彼らが後続を教育することもその後を継ぐ者もないのが残念。
その辺りのコメディ業界現代事情というのはあちらさんも
似たような悩みを抱えているようで、笑いと輝きに包まれた映画は、
終盤では在りし日の残光を懐かしむ様にふっと寂しい影を覗かせます。
若い奴はファックばかり言ってれば受けると思っている。
表面的な笑いばかりで残るものが何もない。
かつての黄金期を知っている者から現代へ厳しい指摘が向けられます。
海の向こうの国の話ではない、違う文化圏の話ではない。
コメディは国境を越えられないと言われるけれども、
ここで指摘される問題は大体今の日本のお笑いにも当てはまる。
僕なぞは爆笑問題の他で本当に笑えるのは立川談志門下だけだと思ってます。
今年の正月のお笑い番組と"言われてるもの""称するもの"もくだらなかった。
笑いはくだらないもの泡沫の様なもの、もののあわれなものでもあありますが、
煮ても焼いてもまずくて食えない本当にくだらないものでした。
録画してた「ジョニー・イングリッシュ」の方が余程笑えたよ!
というわけでアメリカ黒人の差別の歴史について考え、
黒人コメディの魅力にたっぷり浸れる実に充実した映画なのですが、
最後は日本のお笑いについて考えさせられたのでした。
まあ、繰り返しますが、ひとしきり笑った後はそんな風に・・・ね。
本当に幸福にするための戦い 「イエスメン」「イエスメン2」 ― 2011年01月05日 23時24分32秒
さて今日は二本立てで行きましょう。
何故ならば未公開映画祭の作品中、この2本がシリーズ関係にあるから。
何故ならば未公開映画祭の作品中、この2本がシリーズ関係にあるから。
「イエスメン ~大資本と戦うお笑いテロリスト~」
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/015_the_yes_men_1.html
原題:The Yes Men
2003年 アメリカ(83分)
監督:ダン・オルマン
「イエスメン2 ~今度は戦争だ!~」
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/016_the_yes_men_2.html
原題:The Yes Men:Fix The World
2009年 フランス・アメリカ(90分)
監督:マイク・ボナーノ&アンディ・ビックルバウム
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/016_the_yes_men_2.html
原題:The Yes Men:Fix The World
2009年 フランス・アメリカ(90分)
監督:マイク・ボナーノ&アンディ・ビックルバウム
「イエスメン」、それは、大企業や政府の悪行と戦うため立ち上がった
マイク・ボナーノ&アンディ・ビックルバウムのコンビと、
その支援者達によって構成された集団、その名も"お笑いテロリスト"。
「1」も「2」も彼らの行動を追っていく形式は共通ですが、
「1」が第三者視点で彼らを追っていくのに対して、
「2」はイエスメン自身が監督しているためかより主観的になり、
ほんの些細な"つくりもの"も織り込まれています。
「1」が第三者視点で彼らを追っていくのに対して、
「2」はイエスメン自身が監督しているためかより主観的になり、
ほんの些細な"つくりもの"も織り込まれています。
彼らの主な手口?はこうです。
自分たちの利益追求の欲望のために貧困層を苦しめる悪い奴ら
(大企業・政府機関など)のなかから標的を決めたら、
その偽サイトをインターネット上に立ち上げる。
言っておくが流行りのフィッシングサイトなどというケチなものではない。
"しかるべきところ"から連絡が来るのを彼らは釣り糸を垂れる様に待つ。
そして餌に食いついてきた"国際会議への出席依頼"や、
"講演会の依頼"を承諾し、その組織の人間になりすまして現場へ。
そして、そこで組織の人間としての論理を展開しながら、
彼らの"悪行"をときに大真面目に、ときにおバカに暴露していく。
簡単な例を挙げると、企業の公害被害を被ったがなんら補償されない人々に、
企業の人間になりすまし、私達は彼らの救済のためにお金を出します、と言い切る。
それもBBCに出演して。本物の企業側は大混乱、株式市場にも多大な影響が出る。
「1」ではWTO(世界貿易機関)の人間に成りすまして会議に出席、
大企業・経済大国に味方する彼らの論法で突き通しながら、
遂にはWTOのやり方は間違っていたので解散しますと発表する。
そんなことが可能なのか?例え思いついても実行できるのか?
バレたら物凄い罰を課せられるのではないのか?
イエスメンにはそんな躊躇いも恐れも無い。
BBCにバレた時の彼らの行動は実にしたたかです。
「企業が今も人々を苦しめているのは揺ぎ無い事実です。
我々はそのためにこのような手段で戦っているのです。」
自分達の正義を確固たる自信を持って推し進める類まれな度胸、
そして善でも悪でも貪欲にネタにするマスコミの性質を熟知しています。
最近よく思いますが、正しかろうと間違っていようと
自信を持って突き進む人は人々を魅了するのではと考えています。
救済されるとぬか喜びさせられた人々はもちろん失望と憤慨を感じますが、
彼らも、忘れられかけた問題を再び注目を浴びるようにしてくれた、
公の場で広く第三者に知れ渡ったので加害者側も相談のテーブルに
座らざるをえない状況を作り出してくれたことには感謝すると理解を示します。
実に痛快でかつ、意義のある活動だと思います。
その一方で、天下のBBCや、企業・政府の上層部などなど、
一流の大学を出たりそれなりに勉強をしている人々ばかりのはずなのに、
何故簡単に騙されるのか、とそこから見えてくるのは、
我々が以下に人を見た目で判断することが多いかということ。
パリッとしたスーツに身を纏い、話の内容に限らず自身に溢れた話ぶり、
それらしい名刺やIDカード、凝ったプレゼンテーション映像などなど、
それでとりあえず、私はWTOの人間です!と言い切れば信用される。
もちろん、多岐に渡る専門分野の知識に秀でてるからこそ成せる技。
さらに恐ろしいことに、ウ○コで作ったハンバーガーや、
どうみても股間の男性シンボルにしか見えないモニターテレビなど、
とても本物とは思えないキ○ガイ発言やアホな資料を見せたりするのに、
それを見た会議や講演の参加者達は沈黙や憤慨こそすれ、
イエスメンが偽物とは思わないということに驚きます。
それもある種の滑稽さの露呈です。
そして、イエスメンを見た目で偽物と気づかずに信用するということは、
すなわち、本物の企業側の人間達が言っていることであっても、
その地位や名声、身なりなどから、冷静に考えれば変なことを言っているのに、
多くの人は綺麗な言葉や優しい言葉に騙されてしまう危険があるということ。
それも見通して早く間違いに気づけと暗に語ってるのでしょう。
彼らにとっては笑いは人々を楽しませて幸せにするというレベルではない。
滑稽かつ危険な社会のシステムを笑いで注目させることで改善を促し、
人々に安心して暮らしていける"本当の幸せ"をもたらすこと。
彼らの様な自身と行動力があれば、世界は本当に変えられる、
そんな勇気と希望を感じさせてくれる作品です。
イエスメンはあなたの支持によって活動を続けられます。
この未来を切り拓く笑いに満ちた二人を是非応援しましょう。
さて、ここからは1月25日の未公開映画祭終了まで、
未公開映画祭ネタで最終日まで突っ走ります。
未公開映画祭ネタで最終日まで突っ走ります。
信念も自己満足も貫き通せ 「ロック・スクール ~元祖白熱ロック教室~」 ― 2011年01月06日 23時48分29秒
どこぞのハーバード白熱教室の様な名前の作品、
「ロック・スクール ~元祖白熱ロック教室~」
についてのこと。
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/028_rock_school.html
原題:Rock School
2005年 アメリカ (93分)
監督: Don Argott
本作はフィラデルフィアで子供にロックを教える音楽教室の校長で
元ロックバンドメンバーのポール・グリーンに密着。
教育現場とステージに立つ子供たちの成長を追う。
子供達の技には大人たちも舌を巻くようになります。
![スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]](http://images.amazon.com/images/P/B000GM4CEC.09._OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg)
スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
彼とそのロックスクールはジャック・ブラック主演のコメディ映画
「スクール・オブ・ロック」のモデルとなったとのこと。
あの映画のジャック・ブラックも無茶苦茶でしたが、
(まあジャック・ブラックは大体イカれてるのですけどね。)
実在のポール校長も負けてはいません。
プロローグの後、「羊たちの沈黙」のマネを初めるところから始まる。
しかもグリーンは「オレ、教員免許が無いんだ」などと、
茶を噴出すようなコメントをいきなりぶちまける。
彼の教え方は「駄目!ヘタクソ!馬鹿野郎!」とスラングを
小学生の子供相手に容赦なく連発し、本人曰く涼しい顔で、
「このヤロウと思わせてやる気を起させるんだ」と、
どこ吹く風かうそぶいているかのスパルタ式(?)。
まあ、ロックのイメージに助けられているのだろうと思う。
ピアノ教室やバイオリン教室なら殺されてるかもしれん。
(親には丁寧らしいのがこれまた。)
ポールはスタッフに対してもヒステリックに皆の前でも罵倒する。
しかし、彼の良いところはそのまま放っておかずに
後できちんとフォローを入れるところです。
本人はアメとムチと言いますが、技巧や駆引きではなく
本人が相手に愛情を持っているのが良く分かる。
ロックスクールに揃って通うエイサとタッカーの母親は
かつて自分もロッカーになりたかった過去を持つ。
故にポールへの理解も深く、彼女も厳しい言葉を使いますが、
名言は「正しいと信じてるからどう思われても平気」。
ポールにも共通しているこの振切れ方が大事です。
自分は正しいことを言っているという様な輩は多いけれども、
一方でネガティブな不安を感じている者がほとんど。
そういった人々はあと一歩のところで相手を動かすことができない。
相手から「ああこの人もそんなものか」と思われてしまう。
貫通しない弾傷はじゅくじゅくと回復を遅らせて双方にダメージを残す。
まっすぐにただ打ち貫くのみ、その精神が大事だ。
ポールの名言は「自己満足でやってても構わないと思う。
楽しそうにやっているそいつを見て、皆が幸せになれれば良い。」
実にポジティブなプラス思考で賛同できる考え方です。
実際、ポール自身が俺サマ思考で自己満足の固まりだ。
子供に自分の好きなロックを教えて、子供達をビッグにする。
それらは彼の野望と壮大なプランに根ざしている。
自己満足を悪い意味にしかとれない人は、ある意味で狭量だと思う。
欲望という言葉と同じで上手く作用すれば人間の成長を著しく促す。
(自己満足も欲望もレッテルとして思考を止めて使える"便利な言葉"だ。)
自分を高めるために自分を奮立たせ、やるべきことをやれば良い。
自らは満足することができるのだから当然本人は充実感がある。
きっかけも第一の到達点もそれで良い、いずれ分かちあうことを覚える。
その喜びがなければ、大抵の人間は挫折するのではないだろうか。
誰もが人に向けた高尚な使命感を持って貫き通せるものではない。
それを素直に楽しいと思えるか疎ましいと思うかは受け手の心ではないか。
ただ誤解してはならないのは、ポールが子供を本当に愛していること。
子供に夢を掴んで欲しいと、ロックの魅力を存分に知って欲しいと願う。
そこに必ず、子供達の素晴らしき世界が開けると信じているから。
多分に歪んだ愛ではありますが、不健康な愛ではありません。
ポールのありあまる熱意と相容れることができず、
寂しい行き違いに至ってしまった生徒・ウィルもいます。
ウィルは音楽の鑑賞者であることを選ぶ。
内向的でありやや年長者である彼は冷静に観ていた。
別に彼はこの映画の批判者でもアンチテーゼでもない。
ただ、ポールもウィルもある瞬間に併走した愛おしき人です。
彼らの出会いが後々に生きてくることを信じましょう。
ちなみにこの映画の後、ポールのロックスクールは全米約50都市に
スクールが設立され、子供達とスターが共演する等で大成功だそうな。
またまた調子に乗って俺サマ指数がアップしちゃうだろうけれども、
彼が子供達への愛情を持ち続ける限り大丈夫でしょう。
「ロック・スクール ~元祖白熱ロック教室~」
についてのこと。
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/028_rock_school.html
原題:Rock School
2005年 アメリカ (93分)
監督: Don Argott
本作はフィラデルフィアで子供にロックを教える音楽教室の校長で
元ロックバンドメンバーのポール・グリーンに密着。
教育現場とステージに立つ子供たちの成長を追う。
子供達の技には大人たちも舌を巻くようになります。
![スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]](http://images.amazon.com/images/P/B000GM4CEC.09._OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg)
スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
彼とそのロックスクールはジャック・ブラック主演のコメディ映画
「スクール・オブ・ロック」のモデルとなったとのこと。
あの映画のジャック・ブラックも無茶苦茶でしたが、
(まあジャック・ブラックは大体イカれてるのですけどね。)
実在のポール校長も負けてはいません。
プロローグの後、「羊たちの沈黙」のマネを初めるところから始まる。
しかもグリーンは「オレ、教員免許が無いんだ」などと、
茶を噴出すようなコメントをいきなりぶちまける。
彼の教え方は「駄目!ヘタクソ!馬鹿野郎!」とスラングを
小学生の子供相手に容赦なく連発し、本人曰く涼しい顔で、
「このヤロウと思わせてやる気を起させるんだ」と、
どこ吹く風かうそぶいているかのスパルタ式(?)。
まあ、ロックのイメージに助けられているのだろうと思う。
ピアノ教室やバイオリン教室なら殺されてるかもしれん。
(親には丁寧らしいのがこれまた。)
ポールはスタッフに対してもヒステリックに皆の前でも罵倒する。
しかし、彼の良いところはそのまま放っておかずに
後できちんとフォローを入れるところです。
本人はアメとムチと言いますが、技巧や駆引きではなく
本人が相手に愛情を持っているのが良く分かる。
ロックスクールに揃って通うエイサとタッカーの母親は
かつて自分もロッカーになりたかった過去を持つ。
故にポールへの理解も深く、彼女も厳しい言葉を使いますが、
名言は「正しいと信じてるからどう思われても平気」。
ポールにも共通しているこの振切れ方が大事です。
自分は正しいことを言っているという様な輩は多いけれども、
一方でネガティブな不安を感じている者がほとんど。
そういった人々はあと一歩のところで相手を動かすことができない。
相手から「ああこの人もそんなものか」と思われてしまう。
貫通しない弾傷はじゅくじゅくと回復を遅らせて双方にダメージを残す。
まっすぐにただ打ち貫くのみ、その精神が大事だ。
ポールの名言は「自己満足でやってても構わないと思う。
楽しそうにやっているそいつを見て、皆が幸せになれれば良い。」
実にポジティブなプラス思考で賛同できる考え方です。
実際、ポール自身が俺サマ思考で自己満足の固まりだ。
子供に自分の好きなロックを教えて、子供達をビッグにする。
それらは彼の野望と壮大なプランに根ざしている。
自己満足を悪い意味にしかとれない人は、ある意味で狭量だと思う。
欲望という言葉と同じで上手く作用すれば人間の成長を著しく促す。
(自己満足も欲望もレッテルとして思考を止めて使える"便利な言葉"だ。)
自分を高めるために自分を奮立たせ、やるべきことをやれば良い。
自らは満足することができるのだから当然本人は充実感がある。
きっかけも第一の到達点もそれで良い、いずれ分かちあうことを覚える。
その喜びがなければ、大抵の人間は挫折するのではないだろうか。
誰もが人に向けた高尚な使命感を持って貫き通せるものではない。
それを素直に楽しいと思えるか疎ましいと思うかは受け手の心ではないか。
ただ誤解してはならないのは、ポールが子供を本当に愛していること。
子供に夢を掴んで欲しいと、ロックの魅力を存分に知って欲しいと願う。
そこに必ず、子供達の素晴らしき世界が開けると信じているから。
多分に歪んだ愛ではありますが、不健康な愛ではありません。
ポールのありあまる熱意と相容れることができず、
寂しい行き違いに至ってしまった生徒・ウィルもいます。
ウィルは音楽の鑑賞者であることを選ぶ。
内向的でありやや年長者である彼は冷静に観ていた。
別に彼はこの映画の批判者でもアンチテーゼでもない。
ただ、ポールもウィルもある瞬間に併走した愛おしき人です。
彼らの出会いが後々に生きてくることを信じましょう。
ちなみにこの映画の後、ポールのロックスクールは全米約50都市に
スクールが設立され、子供達とスターが共演する等で大成功だそうな。
またまた調子に乗って俺サマ指数がアップしちゃうだろうけれども、
彼が子供達への愛情を持ち続ける限り大丈夫でしょう。
最近のコメント