いつか、分かること ~花の生涯 梅蘭芳 ― 2009年06月18日 23時08分48秒

チェン・カイコー監督最新作
レオン・ライ、チャン・ツィイー共演、
「花の生涯 ~梅蘭芳~」についてのこと。
本作は清朝末期から戦後の中国で活躍した
京劇の女形俳優・梅蘭芳(メイランファン)の生涯を描く作品です。
監督も語るように、映画の中の梅蘭芳も謎が多く、
その内面は複雑で重層的です。
冒頭では、歴史の動乱期に活躍した文化人らしく、
京劇の世界にも近代化の波を取り込もうと、
海外の文化を学んだ邱如白 (チウ・ルーパイ)と組み、
伝統を重んじる京劇の師匠と衝突し、
どちらが優れているかという京劇対決を行います。
そんな先進的かつ柔軟な思考を持つかと思えば、
日本軍に占領され、プロパガンダのために
京劇を演じよと命令される場面では頑なに拒否し、
天然痘を打ち自分を病気に追い込み、
髭をたくわえて女形を演じられぬ様するという、
ストイックな一面も持ち合わせます。
舞台の上で女形を演じる、そのこと自体が、
複雑なアイデンティティを形成すると思いますが、
その中でも「おお」と驚嘆するのはやはり、
孟小冬 (モン・シャオトン)と出会う場面から。
孟小冬は男形の京劇女優です。
どちらも京劇界のトップスターであり、"王"と称される者。
この二人の最初の出会いは、素顔のままの出会い。
その場で、衣装・化粧無しで京劇のワンシーンを演じることに。
女形俳優が男性の姿のまま演じ、男形女優が女性の姿のまま演じる。
なんというファンタスティックな光景か!
しかも、レオン・ライとチャン・ツィイーなのだ。
この時、梅蘭芳は既婚者となっているので、
孟小冬とは惹かれあっても結婚することはありません。
しかし、この二人の関係は愛人などという関係では括れず、
自分の分身か半身と出会ったような運命的出会いなのです。
その後、京劇に生きねばならぬ故に孟小冬とは
引き裂かれてしまう運命なのですが、
その後の京劇の未来のためにストイックな姿勢に至るのは、
孟小冬との別れが彼に強靭さを与えた故なのかもしれません。
作品としてはやや冗長な印象もありますが、
私は以下の様に考えます。
最近、この「花の生涯」のみならず、
チェン・カイコーに対し否定的な見解を臆せずに語る人がいます。
「長江哀歌」で知られる監督・ジャ・ジャンクーです。
「・・・ある映画は梅蘭芳と孟小冬のことさえ論じきれていないのに、
自ら伝記映画だと銘打っている。
人生の内で最も美しい恋愛という出来事にさえ
言葉を濁しておきながら、一体誰を撮ろうというんでしょう。・・・」
(キネマ旬報誌面より抜粋)
この他にも、インタビュアーがやや誘導している節が見られる
否定的回答がありますが、ジャ・ジャンクーが
チェン・カイコーを認めていないことは確かなようです。
これに対し、私はチェン・カイコーのある回答に注目します。
彼は1980年代末に大先輩の謝晋(シェ・チン)監督に
面と向かって容赦の無い批判を浴びせたといいます。
そのチェン・カイコーは、2008年に謝晋が亡くなったときのことを
キネマ旬報誌上で以下の様に回想しています。
「かつてニューヨークで謝晋監督と対談した際の私の振舞いを
本当に申し訳なかったと恥じ入り、後悔しました。
当時の若かった私には、まだ理解が足りなかったのです。・・・(中略)
・・・私も年を重ねるにつれ、次第に彼の言わんとすることも
理解してやらねばならない気がしてきました。・・・(中略)
・・・きっと彼は私になどとても想像もつかない人生経験を、
当時したのでしょう。・・・(中略)
・・・亡くなって初めて、私は中国映画界での
彼の存在の大きさに気付いたのです。」
(キネマ旬報誌面より一部抜粋)
シェ・チンが85歳で没した時、チェン・カイコーは56歳。
遡ると批判を浴びせた時、カイコーは35歳前後でしょうか。
約20年の人生経験を学び経て、彼は相手に歩み寄り始めたのです。
そして、ジャ・ジャンクー。数奇なことに彼は今、39歳。
カイコーがシェ・チンを批判した時とほぼ同年です。
もしかすると約20年の後、人生経験を学び経たジャ・ジャンクーが
チェン・カイコーに歩み寄るときが来るのかもしれない。
我々は多くの場合、相手や物事に対する評価を、
その時の評価のみで固定化させがちであり、
後から遡って考え直すことはまれです。
しかし、その時点での相手への芳しくない評価は
実は自分が未成熟である故に、相手を理解する・共感する力や
謙虚さや寛容さに欠けていることによる場合があります。
人生のいつ・どんな状況で出会うか。
タイミングが相手に対する評価を左右するといってもいいでしょう。
例えそれにより不幸なアクシデントに至ったとしても、
いつか、きっと分かってもらいたいと信じ続けて、
各々の成長を経て分かり合える可能性に賭けること。
映画のみならず、人、物事全てに共通する切なる願いかもしれません。
レオン・ライ、チャン・ツィイー共演、
「花の生涯 ~梅蘭芳~」についてのこと。
本作は清朝末期から戦後の中国で活躍した
京劇の女形俳優・梅蘭芳(メイランファン)の生涯を描く作品です。
監督も語るように、映画の中の梅蘭芳も謎が多く、
その内面は複雑で重層的です。
冒頭では、歴史の動乱期に活躍した文化人らしく、
京劇の世界にも近代化の波を取り込もうと、
海外の文化を学んだ邱如白 (チウ・ルーパイ)と組み、
伝統を重んじる京劇の師匠と衝突し、
どちらが優れているかという京劇対決を行います。
そんな先進的かつ柔軟な思考を持つかと思えば、
日本軍に占領され、プロパガンダのために
京劇を演じよと命令される場面では頑なに拒否し、
天然痘を打ち自分を病気に追い込み、
髭をたくわえて女形を演じられぬ様するという、
ストイックな一面も持ち合わせます。
舞台の上で女形を演じる、そのこと自体が、
複雑なアイデンティティを形成すると思いますが、
その中でも「おお」と驚嘆するのはやはり、
孟小冬 (モン・シャオトン)と出会う場面から。
孟小冬は男形の京劇女優です。
どちらも京劇界のトップスターであり、"王"と称される者。
この二人の最初の出会いは、素顔のままの出会い。
その場で、衣装・化粧無しで京劇のワンシーンを演じることに。
女形俳優が男性の姿のまま演じ、男形女優が女性の姿のまま演じる。
なんというファンタスティックな光景か!
しかも、レオン・ライとチャン・ツィイーなのだ。
この時、梅蘭芳は既婚者となっているので、
孟小冬とは惹かれあっても結婚することはありません。
しかし、この二人の関係は愛人などという関係では括れず、
自分の分身か半身と出会ったような運命的出会いなのです。
その後、京劇に生きねばならぬ故に孟小冬とは
引き裂かれてしまう運命なのですが、
その後の京劇の未来のためにストイックな姿勢に至るのは、
孟小冬との別れが彼に強靭さを与えた故なのかもしれません。
作品としてはやや冗長な印象もありますが、
私は以下の様に考えます。
最近、この「花の生涯」のみならず、
チェン・カイコーに対し否定的な見解を臆せずに語る人がいます。
「長江哀歌」で知られる監督・ジャ・ジャンクーです。
「・・・ある映画は梅蘭芳と孟小冬のことさえ論じきれていないのに、
自ら伝記映画だと銘打っている。
人生の内で最も美しい恋愛という出来事にさえ
言葉を濁しておきながら、一体誰を撮ろうというんでしょう。・・・」
(キネマ旬報誌面より抜粋)
この他にも、インタビュアーがやや誘導している節が見られる
否定的回答がありますが、ジャ・ジャンクーが
チェン・カイコーを認めていないことは確かなようです。
これに対し、私はチェン・カイコーのある回答に注目します。
彼は1980年代末に大先輩の謝晋(シェ・チン)監督に
面と向かって容赦の無い批判を浴びせたといいます。
そのチェン・カイコーは、2008年に謝晋が亡くなったときのことを
キネマ旬報誌上で以下の様に回想しています。
「かつてニューヨークで謝晋監督と対談した際の私の振舞いを
本当に申し訳なかったと恥じ入り、後悔しました。
当時の若かった私には、まだ理解が足りなかったのです。・・・(中略)
・・・私も年を重ねるにつれ、次第に彼の言わんとすることも
理解してやらねばならない気がしてきました。・・・(中略)
・・・きっと彼は私になどとても想像もつかない人生経験を、
当時したのでしょう。・・・(中略)
・・・亡くなって初めて、私は中国映画界での
彼の存在の大きさに気付いたのです。」
(キネマ旬報誌面より一部抜粋)
シェ・チンが85歳で没した時、チェン・カイコーは56歳。
遡ると批判を浴びせた時、カイコーは35歳前後でしょうか。
約20年の人生経験を学び経て、彼は相手に歩み寄り始めたのです。
そして、ジャ・ジャンクー。数奇なことに彼は今、39歳。
カイコーがシェ・チンを批判した時とほぼ同年です。
もしかすると約20年の後、人生経験を学び経たジャ・ジャンクーが
チェン・カイコーに歩み寄るときが来るのかもしれない。
我々は多くの場合、相手や物事に対する評価を、
その時の評価のみで固定化させがちであり、
後から遡って考え直すことはまれです。
しかし、その時点での相手への芳しくない評価は
実は自分が未成熟である故に、相手を理解する・共感する力や
謙虚さや寛容さに欠けていることによる場合があります。
人生のいつ・どんな状況で出会うか。
タイミングが相手に対する評価を左右するといってもいいでしょう。
例えそれにより不幸なアクシデントに至ったとしても、
いつか、きっと分かってもらいたいと信じ続けて、
各々の成長を経て分かり合える可能性に賭けること。
映画のみならず、人、物事全てに共通する切なる願いかもしれません。
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