フラッシュバックのなかで2011年12月28日 23時34分51秒

2011年ももう残すところあと3日になりました。

仙台で生きている人間として、今年が一生のなかで
忘れられない年になることは間違いないでしょう。

昔、ある人が「僕らの青年期はたとえ娯楽であっても、
戦争あるいは反戦についての影がつきまとっていた」
と言っていましたが、そんな具合で、今後さまざまなところで
震災から端を発する何かが感じられるのだと思います。

さて、一年を振り返ってやはり震災について考えざるを得ない、
ということとはまた別の次元で、震災の記憶は甦ってきます。

12月に入り、仙台では既に何度か雪が降っていますが、
その寒波のなかを歩いていると3月のことが思い出されます。
それも思考というよりも肌の感覚が甦るという方が近い。
今頃の気温や空気感が、丁度、3月のそれに似ているのです。

TUTAYAの前を通れば、店内の散乱したDVDの山が、
生協の前では寒空の下の行列とガラガラの商品棚が、
コンビニではエビドリアしかなかったことが思い出されます。

ツルハドラックでカップ麺と水を並んで買ったときのことは忘れがたい。
店舗によるもののツルハは大抵、化粧品コーナーの面積は広い。
いまでは平常を取りもどしているものの、その買出しのときは、
化粧品コーナーは片付けられもせずロープで立ち入り禁止で、
女優が微笑む広告が破れて天井から垂れ下がったまま。

皆、それらには見向きもせずもくもくと食料品やラップや
ウェットティッシュなどをカゴに詰めこみ、
少なくとも明るくはない表情で行列を作って並ぶ。
その店内にはBGMではなく、原発の状況を伝えるラジオの音声が響く。

幸いにして僕は夜にうなされることはありませんが、
そういう話は最近また耳に入ってくるようになってきたし、
僕も3日目ほど続いた眠れぬ夜の感覚はまだ新しい。

今、テレビでは今年の一大事を忘れまいと震災関連番組がまた増えています。
それはそれで意味はあると思うのですが、こちらはこちらで、
上記のような、当時のフラッシュバックに襲われています。
そこに既に東京とこちらの感覚のズレが見え隠れしている気がします。

忘れかけている人に対してだけ放送できないかな
とも思うこともたまにあるわけです。

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