映画と想い出はCafeとともに・・・2011年12月01日 23時56分57秒

人に薦められて、「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を
山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」という本を読みました。

世界一と淀川長治先生が称賛した映画館"グリーンハウス"と、
作家で食通の開高健らが絶賛したフランス料理店"ル・ポットフー"を作った、
佐藤久一という人物の生涯をときには情を籠めて記した本です。

佐藤久一その人に惚れこんで行き、それを取り巻く著名人に驚嘆しつつ、
最も多く訪れる大切な"普通の人々"が映画館と料理店に向けていた、
恋に落ちたまなざしが感じられる、そんなところが良い本だと思います。


その本については別の時間を設けるとして、その様なお店は僕にもありました。
ル・ポットフーとは比べようもない小さなお店ですが。

仙台市青葉区の中心部から少し外れた狭い通りに、
ミニシアター系映画館「フォーラム仙台(旧:仙台フォーラム)」があります。
シネコンよりも多数のラインナップを上映する関係で、
自然とそこに通う回数も増えたわけですが、もうひとつ。

直ぐ目の前にお気に入りのカフェがあったのです。
お店の名は「ni vu ni CONNU cafe」。フランス語で"ひっそりと"らしい。


フランスの素朴な家庭料理をつくってくれる、5組も座れば満席の小さなお店。
程よい華やぎの音楽が流れ、年季がむしろアートを感じさせる内装、
窓辺の一輪挿しの細やかな遊び、時折軋む木の床板。
そう言えば、あの入り口のドアはやや立て付けが悪く、
木の床に削れた後が弧を描いていました。

夜になれば毎日、橙色の電飾の、ほんのりと小さな灯りがつき、
遠くから見るそれは何か少し、夢に続く世界の様に見えたものです。

いや、夢に続くというよりも、映画を見た後の夢の余韻をしばしの間、
ゆっくり戯れ、自分に馴染ませていく"夢のしめくくり"だったかもしれません。

そして、その世界の支配人であり役者でもあった、
お店を切り盛りする麗しの方々もいらしたのでした。

このお店は、仙台のカフェの中で最初に足を踏み入れたお店でした。
そのきっかけは、映画とのコラボメニューを期間限定で出していたから。
隣のフォーラム仙台(以前は「仙台フォーラム」)で上映する映画、
それにちなんだ特別メニューを、時折出していることを知り、
半券を持って訪ねたのがそれからの始まりでした。

最初はジム・ジャームッシュ監督の「ブロークン・フラワーズ」。
メニューは確かサンドイッチとサラダ、ドリンク。
よく覚えているのは、最初からフォークに刺さった、丸くカットした3つのキャロット。

「これは映画の中に出てきた、ドン(ビル・マーレイ)の食べ方ですよ」

その解説を聞いて、直感的にこのお店が好きになってしまった。

以来、フォーラムで映画を見てはよく通うようになり、
とくに、映画コラボメニューはなんでも注文しました。



「PARIS(パリ)」「ダージリン急行」「地下鉄のザジ」・・・
なかでも「インランド・エンパイア」のチェリーパイは格別。
他のお店でもコラボメニューはありましたが、とくにこのお店の、
その国と映画の空気感も捉える様なところが好きでした。


通常のメニューも家庭料理という通り、ほっとする味わいで、
チーズがとろけるクロックムッシュなどの他、
好んでよく食べたのは、子羊のクスクス。

薄味のポトフの様なスープに、小麦の小さな粒子を入れながら食べるもので、
香辛料を入れると香りが一気に引き立つのが好きでした。
子羊の肉の他、人参と豆、それから茄子が入り、
季節によって茄子が蕪に変わるのがまた凝っていたものです。
この温かなクスクスのイメージも焼き付いているためか、
なぜか外が寒い日の温まる思い出の方がよく覚えてる。

冒頭の本に、フランスでの食事について、単なる栄養補給ではなく、
楽しむこと過ごすことと一体に考えていくという内容が出てくる。
そんな、巷のオシャレなカフェとは何かが根本から違うお店でした。
そこに地続きの、"空間"と"時間"があったと思います。

その後、「Patisserie cafe Cadette」と店名を変え、
テイクアウトのフランスお菓子に重きをうつしながらも、
映画館を出ればそこに"あのお店"があるのは変わりませんでした。

思い出を語るように書いているのは、このお店が今は無くなったということです。
先日、久し振りにフォーラム仙台に映画を観に行くと、
駐車場の向こうに見えたお店は、どうみても別のお店になっていました。
店名が変わっただけなのかフォーラムで聞いてみると、
今度はお店の方も全く違う、本当に別のお店になったとのこと。

ああ・・・そうか。

今あるお店はフランス雑貨のお店と、カフェもやっているそうで、
そこにはまだ入ってはいないため、あまり寂しがっては悪いのですが、
やはり約10年そこにあったお店が無くなったのは大きな変化です。

そもそも僕にとっては映画は、"映画を見ること"だけはなく、
"映画に行くこと"でもあり、その中には映画を鑑賞する前後に、
お気に入りのお店に行くこともまた一体になっている。
観に行く前でも、観に行った後でも、そこに立寄れば、
映画を膨らませ抱きとめるようになる大事な場所だったのでした。

つまりは、僕は映画とともに「ni vu ni CONNU cafe」と
「Patisserie cafe Cadette」のファンであり、
冒頭の酒田の人達の様にある意味、恋をしていたわけです。
まあそれで、過去にこのブログで何回も紹介しているわけですから。

フォーラムの方によれば、移転するかもしれないと言っていたとのこと。
もしそうならまた、仙台の街のどこかで再会したい。
昔この時期に予約した「Cadette」のケーキを思い出しながら、
きっとまた、ひっそりとそこにあるお店を思い描き・・・。


南三陸町戸倉 「波伝谷に生きる人びと」 上映会その12011年12月03日 23時28分46秒

風強く吹き荒れる12月3日、4日、僕は南三陸町にいました。
ここは、宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷(はでんや)。

普通の人にはほとんど知られてはいないと思われるこの小さな漁村は、
(僕がここを知ったのはつい2ヶ月程前で、その漢字を見たとき、
「これは何と読むんだ?」と思ったくらいでした。)
仙台市内からは国道45号を多賀城、塩釜、松島、東松島、石巻を過ぎ、
気仙沼に向って北上を続け、志津川湾に出たところで、
神割崎方面に向う道に分かれて、志津川湾の南側の海岸線沿い、
志津川自然の家の西方にありました。


いまのところ、僕はそういう地理的なこと以外は詳しくは説明できない。
「ありました」という通り、現在は以前の姿では無くなっているのです。

東日本大震災の津波によって壊滅的被害を被った町や村を、
たとえ99%の家屋が全壊していても「消えた」というのは躊躇いがある。
暮しを営んでいた人々はそこにその周りにいるのですから。

現在、約200人の波伝谷の人達は近くの山の上に建てられた仮設住宅と
その近辺に分かれて生活をし、村の再生を目指しています。
あの直後はおそらく残っていたかもしれない破壊された家屋はもうなく、
家の土台だけが残り、破片も砂にのまれようとしています。
どこでもそうですが、海岸に詰まれた土嚢の壁を見るたびに、
こんなもので役に立つのだろうかという思いが湧き上がってくる。

近くの交通手段だった電車も気仙沼線・陸前戸倉駅が壊滅、
国道45号線には仮設コンビニがあるものの店舗被害も大きく、
石巻方面は途中で寸断され、桃生へ迂回せざるを得ない。
やはり小さなところのためか、まだ先はわからないようです。

震災前のこの村については、多賀城市にある
東北歴史博物館にアーカイブとして保存されている、
同館と東北学院大学文学部民俗学政岡ゼミナールが編集した
2008年刊行の民俗学調査報告書、
「波伝谷の民俗-宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相-」が詳しい。

210ページの全ページPDF化された報告書全文がWEBで読めるので、
ご興味のある方は是非読んで頂けれたらと思う。

■東北歴史博物館
http://www.thm.pref.miyagi.jp/index.html


さて、僕が波伝谷のことを知るに至ったいきさつは、
その報告書を作成するにあたり現地で調査を続けた、
先の民俗学ゼミの学生の一人だったある男がきっかけでした。

その人の名前は我妻和樹。
彼は民俗学ゼミの学生として他の学生達とともに波伝谷に入り込み、
当時は年中行事の獅子舞などを調査していたということですが、
それを通じて波伝谷の人々とその社会に興味を抱いていく。

僕は民俗学については学生時代に単位稼ぎに齧った程度で、
教室での講義を受けたのみですが、この学問は現地に入り込んで、
地域に密着して調べていくということをそこで聞いていました。

話を我妻氏のことに戻します。彼にはもうひとつの一面がありました。
映像表現に興味を持っていたことです。
そこから彼は、学校を卒業後、アルバイトをしながら資金を作り、
波伝谷の人々と社会を撮影したドキュメンタリー映画を作りはじめます。

彼の用意した手元の資料では4年前からということです。
その間、ずっと現地に通い、ときには泊り込み、
現地の人々と信頼関係を築き、そしてカメラを回し続けました。
意図したものではないにしろ、今ではその映像は、
震災前の波伝谷をとらえた貴重なものとなっています。

そして彼はそれらをいよいよ形にまとめあげることに挑みました。
まずは、三章構成の作品を完成させること。
そして、波伝谷のアルバムも写真も残せなかった人にとっては、
数少ないものとなるこの映像を恩返しとする意味もこめ、
現地での試写会を開催することを決めました。

実は、このブログで紹介した11月13日の右岸の羊座での上映会は、
この現地試写会を運営するスタッフに向けた上映会だったのです。

13日にはこの現地上映会を成功させるために集まった、
学生と震災後に現地で活動したボランティアの方々が参加しました。
そして現地上映会には、他のボランティアの方々も、
この上映会のために再び続々と集まって来たのです。

僕はある縁で我妻氏に呼びかけられ、
上映委員会にスタッフとして参加させて頂きました。
その上映会の模様は次の記事でお届けします。

そして、12月24日にもまた上映会が開かれるのです。

南三陸町戸倉 「波伝谷に生きる人びと」 上映会その22011年12月04日 23時31分22秒

南三陸町戸倉地区波伝谷、早朝。
現地のお母さん達とボランティアの皆さんで、
上映会に来てくれる方に振舞う、昼食のお握りづくりが始まりました。

昔、家庭科の授業でお握りだけで高い評価を頂いたことが懐かしい。
今回は400個ほど、大量につくるので、ひとりがご飯をわけ、
ひとりが具材を入れる穴をあけ、ひとりがオカカをつめ・・・
という風に流れ作業でテキパキとどんどんできあがっていく。

お母さん達は毎日の熟練の技の結晶を披露する場ですが、
ボランティアの"男手"による無骨でいびつなお握りも混ざりあう。
しかし、そうした和気藹々とした雰囲気のなかでつくられ、
色々な形が並んだお握りは、それ自体がみんなの顔に見えてくる。
そして、そのお握りがみんなに少しの力とほっとする気持ちをくれるわけです。

さて、「波伝谷に生きる人びと」上映会会場は、
志津川自然の家という施設で、この施設は、
通常は学生の野外活動などで使用するものであったことから、
キャンプ場、炊事や宿泊設備、体育館等々が揃っていました。
そのため震災直後は避難所として、周辺の多くの人達の助けになりました。
また、現在では自然の家から見下ろせる場所にも仮設住宅が建っています。

ここは周辺で最も広く、最も集い易い場所であるため、
上映会場として選ばれたわけですが、結果としては、
現地の方々にとってもボランティアの方々にとっても、
縁のある場所だということでもこれ以上はない場所だったでしょう。

その上映は、朝の9時30分から夕方17時までの一大イベントです。
三章立ての映画は、二章まで完成している状態で三章を鋭意製作中という、
未完の段階での上映会となりましたが、それでも、
1日目の季節はずれな暴雨と暴風が直撃したなかで約70人の方々が、
2日目には雨が過ぎた後の青天の虹の下、約40人の方々が来てくださいました。

さらに、先のお握りづくりに留まらず、来場者案内、お茶だしのお世話、
会場設営や物資運搬等々のため、遠くは沖縄や福岡から集って頂いた、
ボランティアの皆様の気持ちと奮闘にはただただ頭の下がる思いです。
この人達は自分のできることなら何であっても体が動いていく。
その力がなければできなかったことが数多くあるはずです。
己を捨てて人のために。ごく普通のことができるのが、普通の人との違いだ。

生活を営んだ故郷のかつての綺麗な姿を懐かしんでいる方、
ボランティアの皆さんとの再会を喜んでいる方、それぞれの顔がある。
被災地での上映会というものをいくつかは見てきましたが、
この日の上映会はそのような特殊な一面を持っていました。

作品自体は今後、さらなる研磨を重ねていく必要がありますが、
僅かな時間触れた波伝谷と、この2日間で開かれた上映会には、
他に勝る何かも持っていることは感じられたと思います。

映像の可能性というものの他に、それを取り巻く環境の力、
例えばそこで触れ合う人達、片手に持つ食べ物、共通の体験、
そういうものが力を生み出していく可能性を、改めて見た気がします。

映画を作るということと、映画を見せるということ。
ボランティアの皆様、協賛企業の皆様、現地でご協力頂いた皆様、
この映画を見てもらうために集まった多くの力に敬意を籠め、
我妻監督が今年度中に完成させる第三章、洗練を目指す一章二章、
そして波伝谷の再生に期待と応援の気持ちを籠めて・・・。

このブログを捧ぐ。

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<作品紹介>
『波伝谷に生きる人びと―第1部―ENTER THE PLENTIFUL WORLD ! 』
監督:我妻和樹

〇第1章「波伝谷への道」(225分)
 南三陸の生業の変遷や漁業の現状、また地域に残るさまざまな社会組織、
親族間、海の仕事を通しての人間関係など、カメラはこの地に生きる人び
との日常を映しながら、複雑な背景と多様な人間関係が織り成す、波伝谷
という一つの地域社会の現在を描く。

〇第2章「光を求めて」(120分)
 波伝谷で水産会社を営む主人公。幼い頃から自分のルーツに翻弄され、
海の事業においても人間関係においても葛藤し続けてきた彼の、母親の納
骨の一日をめぐって、家族・親族のあり方と一人の漁業者の生き様を描く。

〇第3章「その先へ」(現在、鋭意制作中)
 最終的に津波で波伝谷が壊滅するまでの、三年間の撮影過程と自分自身
(監督)の変化を振り返り、震災以前からすでに限界にきていた地域社会の
現状と、ドキュメンタリー作家として未熟で覚悟の足りない自分自身を描く。
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・『波伝谷に生きる人びと』上映実行委員会

次回の現地上映会は、2011年12月24日(土)・クリスマスイブに、
同じく志津川自然の家にて行います。
上映に関するお問い合わせ、ご連絡はコメント欄でも承ります。
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