「エクレール/お菓子放浪記」 ~ついに石巻へ!2011年10月08日 23時55分55秒

さる9月28日に石巻に向いました。
いつぞやの猛暑は過ぎ去ったものの、この日はやや残り香が漂う。
この日はなんとしても石巻に向う必要があったのです。
それは「エクレール/お菓子放浪記」の試写会が、石巻で初めて行われる日だから。

映画のロケ地は石巻がメイン。参加したエキストラの皆さんも石巻から多数。
今は消えてしまった光景も、フィルムに焼き付けられている。
石巻の皆さんにこそ、この映画を真っ先に見せるべきだったのです。

会場は石巻グランドホテル。駅前から東西に伸びる立町商店街から
1本通りをなかに入ったところにある、この辺りでは大きなホテルです。
外観はまだシートで見えない部分もあるものの、1Fのホールやカフェなどは
外の光景からは離れたもののように落着いている様に見えます。

ホテルというのは元来、現実からひととき、少し離れた夢に近い場を提供する、
そのように思えるけども、それは普段から行き慣れない一般人の感覚でしょうか。
ただ、ホテルの玄関から前の通りに一歩でるとほぼ目の前に仮設浴場がある。

ホテルのパーティホールで行われた試写会には多くの人が詰め掛け、
主演の吉井一肇君、原作者の西村滋先生もかけつけた。
この映画に寄せる想いがこの場に集まっているのを感じられました。

2月の終わりに電力ホールで観たときと違うのは、
会場からどよめきが起こるシーンの違いということ。
数ある石巻ロケのなかで多くの人達が参加したのは、
日和山公園で撮影されたのど自慢大会の場面。

スクリーンのなかの観客席が映った瞬間の、「あれが」「そこが」というどよめき。
ああ遂に石巻でという感慨がこみ上げて来ました。
あの瞬間こそ、我が子のような映画が帰ってきたときでした。

この上映は10月1日より始まるワーナーマイカル・シネマズ新石巻での
同映画の上映に際しての試写会という意味合いもありました。
石巻で上映することは他の地域でかけるよりも、大きな意味があります。

仙台などに住まいの方も可能なら石巻で見ていただきたいと思う。
11月下旬にはシネマ・リオーネ古川でも上映が決まっている。
それだけではない、被災地を巡回しての上映会計画も進行しています。
そのための資金も募っているので、是非多くの方のご協力を頂きたい。

ところでこの日も岡田劇場跡に行ってみました。
石巻に行くたびに中瀬には、ほぼ必ず立寄っていたのですが、
ほぼ一ヶ月ぶりのこの日は少し様子が違っていました。

北上川沿いの道に出ると直ぐに石ノ森萬画館が目に飛び込んできますが、
その周りの景色がなにか妙に空間が多い。
内海橋を渡ろうとその上に来ると、ようやく違和感の正体がわかりました。

岡田劇場跡の、半壊のまま残っていた隣の会社の建物も撤去され、
その区画全体が全て造成されて全くの人工的更地になっていたのでした。
ああ、これで本当に何も無くなってしまった。

5月に来たときで既に何もなかったわけですが、それでも木切れが散乱し、
7月に来たときにはコンクリの破片がまだ残っていた光景を思い出すと、
かろうじてであっても、それが生活の欠片として僅かな息遣いだったと、
想い出に繋がる手がかりだったのではないかと改めて感じます。

なくなったときの悲しみはしばらく経ってから実感すると言います。
形あるものが正真正銘なにも無くなった今、これからは本当に、
その姿は「想い出のなかにのみ」残ることになるのかもしれません。

しかし、「エクレール/お菓子放浪記」に岡田劇場の姿は確かに刻まれている。
何より劇場を想ってくれる人達の助けによって、新たな人生が始まっている。
そして、人々に映画を届けることがこれからも広がっていくはず。

映画によって繋がった幸運なめぐり合わせ、それがこれからの希望だと思います。
「想い出のなかに確かにある」のならば、その想い出を抱いていくことで、
僕らは前に進んでいくことができるのではないでしょうか。



山形国際ドキュメンタリー映画祭 邂逅2011年10月16日 23時59分21秒

先日、9日は山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ってまいりました。

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、2年毎に山形市街で開催される、
世界中から集まった「ドキュメンタリー映画」を中心に上映する映画祭で、
世界三大ドキュメンタリー映画祭のひとつと呼ばれています。
今年は10月6日から13日までの間の開催でした。

■山形国際ドキュメンタリー映画祭 YIDFF 公式サイト
 http://www.yidff.jp/home.html

以前にも行ったことはありますが、今回は作品鑑賞がメインではなく、
事務局のボランティアスタッフとしてお手伝いを。
他に仙台短篇のスタッフ1名とともに9日早朝に山形へ。

仙台から1時間弱の高速バスで山形駅前に降り立つと天気は快晴。
空気も気温も温暖でお祭り日和でありました。

映画祭は山形市中央公民館、山形美術館、山形まなび館、
山形市民会館、山形フォーラム(映画館)の五つの会場を使い、
山形市街を取り囲むように開催され、商店街も出店や音楽イベントで賑わい、
町全体を巻き込んで活気に溢れた8日間が続きます。

僕らがお手伝いに向ったのはその賑わいをやや遠くに望む、
緑の杜に囲まれた公園のなかにある山形美術館。

表から公園に入ると最上義光記念館があり、美術館はどこじゃいな、
と思いますが構わず奥に歩を進めると巨大な美の館が現れます。
ここでは映画祭期間中、3つのホールを使った、作品上映やシンポジウム、
ワークショップなど、多彩な企画を楽しむことができます。

今回のお手伝いは「音声同調」というもので、スクリーンに投影された映像と、
英語の翻訳音声を画面にシンクロさせるというもの。
この映画祭は「国際」と名を冠する通り、海外からのゲストと観客も多いのですが、
英語字幕をつけることができない作品もあります。
そこで登場するのが、翻訳者が話した録音をイヤホンから聞くというシステム。

音声同調は、基本的には翻訳者の話す音声データと映画の尺を併せてるので、
最初の方だけ歩調を合わせればあとはそのまま見守っている、ということですが、
ときには画面と音声が離れていくので、そのときは音声を巻き戻したりします。

これは日本語作品に対する英語音声だけではなく、
外国語作品に対する日本語音声という上映形式も勿論存在します。
通常の映画館ではまず無い上映方式なので、一度経験してみると良いです。

ただ、翻訳者の音声は通常、抑揚の無い語りで感情を籠めてはいないため、
ずっと聞いていると睡魔が誘いをかけてくる闘いに挑むことにもなります(僕だけか?)。
映像に躍動感があるものは良いですが、人物がひたすら話しているものは辛い・・・。
このあたりは翻訳者のスタンスとして致し方ないかもしれないものの、
台詞・語りも音楽同様に作品を構成するリズムの一部と考えれば、
被写体がむき出しにした感情部分をそのまま伝えきれないのは勿体無い気もする。


僕が担当したのはその様な感情は抑えた3本の教育映画だったので、幸いと言えば幸い。
日本の映画に英語の音声を重ねる方のパターンです。

しかし淡々とした映画と思えば、上映前の作品紹介で初めて知らされる事実、
2本目の特撮監督が円谷英二、音楽が伊福部昭とくればナニやら血が沸き立つ。

1本目は「民主主義を担いで」という、戦後のGHQの民主主義教育映画の
上映に携わった人達へのインタビューで映画の一面を戦後の歴史に垣間見る作品。
3本目は1967年頃の作品で巨大タンカーの製造過程を映したもので、
巨大な怪物とその時代背景と低いナレーションに妙な威圧感を感じた。

注目の2本目の作品は、「台風の目」という1954年頃に制作された、
世界で初めて台風の目の中に入って撮影されたというもの。
天候を予測することの困難さ、それでも人類の進歩はそれを可能にする、
やがては支配することさえ・・・というような含みを帯びた幕引きには、
1954年頃の時代と関わったスタッフからの、希望とも警鐘ともとれる印象を残す。
それはまた「ゴジラ」以降、円谷・伊福部コンビの関わる作品にも通ずる様で、
それぞれが進む道への奇妙な暗示とも思えてもきます。

思わぬところで収穫を得ましたが、そんな接続の発見もまた映画の楽しみ。
貴重な映像を観るとともに、普段あまりできない経験を頂いたありがたい時間でした。

山形国際ドキュメンタリー映画祭 -感謝2011年10月17日 23時26分35秒

「舞台挨拶をできないですか?」

普通の人の感覚がどんなものか分かりませんが、
およそ普通の生活をしてれば言われることがない言葉だと思う。

いや、結婚式なりイベント司会なり、小さなものでは文化祭なり、
ビジネスでもプライベートでもそれなりに大勢の前での挨拶の機会は、
生きていればそれなりに巡ってくるはずだろう。

しかし、映画の上映後に、身内を含まない数百人規模の観客の前で、
自分達のプロデュースした作品と今後の展望に向けて挨拶をする、
無論、立派な上映施設のホールの壇上でなどという舞台挨拶はどうか。



仙台短篇映画祭が今年行った初の試み。それは映画のプロデュース。
3分11秒の短篇映画の制作を映画監督に依頼し、
それぞれが完成させた短篇を、1本の映画に繋いで映画祭で上映すること。

41人の監督が制作した、計42本の短篇(1人で2作品制作した監督もいた)。
その尺たるや130分強に及ぶ超大作になった。
冨永昌敬、河瀬直美、篠原哲雄、井上剛、山下敦広、真利子哲也、
鈴木卓爾、塩田明彦、入江悠・・・お名前を一部だけ紹介するのが申し訳ない。

NHKニュースで紹介された効果はやはり絶大だったのか?
多大な被害を受けた仙台の地で、3分11秒の作品が集まるということで、
3日間の映画祭で毎日上映したこのプログラムの入場者数は右肩上がり。
本当に多くの方に観ていただいたことに、何度も何度も感謝します。


さて、テーマとともにタイトルを「明日」と名付けられたこの映画は、
仙台短篇映画祭での上映で終わりではなく、これからも各地をまわる。
すでに同日開催の奈良県の「なら国際映画祭」と、
茨城県水戸市の「水戸短編映像祭」では上映されていました。
そして、東北で最大規模の映画祭、山形県の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。
世界からの注目を集める、世界三大ドキュメンタリー映画祭での上映がやってきた。

ドキュメンタリー映画祭でドキュメンタリー映画ではない「明日」をかける?
という疑問はさておき、(実際、テーマに沿った少量の劇映画も上映している。)
複数の会場の中から選ばれた上映会場は山形市民会館の大ホール。
最大客席数1200人。せんだいメディアテークの会場、約170~200人?収容。
正確な数は分からなくとも、鼻血を噴出すには十分な違い。

山形に滞在する日程のなかで丁度、上映日に時間が取れそうなので、
1人の観客として少し観ていくか、程度でゆるりと構えていたところへ、
上映に際して挨拶をして頂きたいと、冒頭の御言葉を頂いたのでございました。
まあ、僕は一番出るべき人が出られないときのピンチヒッターとしてで、
たまたまその日に僕が朝から現地にいたというわけなのですが。

確かに僕も今年はローカルラジオで1回、全国ラジオで1回答えているので、
半分は肝も据わってきたともいえるものの、山形の舞台は桁が違う。
何しろ、「世界三大」と呼ばれてしまってるから。
それはもう、MORI-MORIよりもDOKI-DOKIです(謎)。

おまけに震災関連プログラムは連日満席という脅かしもついてきます。
最大1200人の前で舞台挨拶など、それこそ一生分の眩暈を使い果たすだろう。
一応、なんとか制作総指揮者が山形に来られるようになったので、
僕は袖で見守るように待機していようと胸をなでおろす。


と、思ったら僕には他に話してもらうことがあるからと、
その3時間前に壇上挨拶が見事に?決定してしまった。
二人で挨拶というのと、さすがに1200人はなかったことが命を繋いでくれた。
肝が据わるというよりは心臓に毛が生えたかもしれない。

普段の仕事はコンピュータに関するお客様の質問に答える、
今もしがない安月給の普通の派遣社員であります。
断っておかなくとも、僕はたいしたことのない人間です。

そんな人間がこんな舞台挨拶など一年前にも半年前にも考えられなかった。
しかし現実はかくも突然にやってきて過ぎ去っていく。
自分の人生の晴れ舞台などと考える余裕はない。
むしろ「僕が登壇して良いんですか?」と聞いたぐらいです。

しかし、いずれにせよ、やるべきことをやることに変わりはない。
やるべきことはただ、仙台を背負い、制作に協力して頂いた皆様と、
作品を観に来てくれた山形のお客さんに感謝を籠めて勤めを果たすのみ。
小さな人間が奮って立つには気持ちで立つしかない。
自分のためではなく人のためになら、なお引き下がれなくなる。

雄弁とは程遠い拙い喋りでしたが、気持ちを一言一言には籠めました。
本当に一言で言えば「全ての人にありがとう」であり、
「これから恩返しをしていきます」ということです。
その僕らの想いが1人でも多くの人に届いてくれていれば幸いです。
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