映画祭が終わり、これからまた2011年09月25日 23時06分49秒

嵐のような日々が過ぎてから一週間。
仙台短篇映画祭が終了して、やっと一息つけるようになりました。
実際はまだ仕事がありますけれども。

3月11日に大震災に襲われ、毎年のメイン会場だった
仙台メディアテークは大打撃を受け、今もシアター室は復旧作業中。
一時はその開催すら危ぶまれた今年の映画祭。

現在20数名のスタッフのなかには3月中に声をあげた人もいる。
でも、僕はそんな気にはならなかった。
映画を年間100本以上観ていた人間がそうなる様な震災なのです。

しかし、5月の半ばに岡田劇場さんと出会い、そこから多くの人と出会い、
映画のなかに身を投じて映画を話すうちに、手応えを感じ、
おぼろげな目的が見てきたような気がしました。
そうして、映画祭の活動に戻っていった。

ある作品では、ぐるぐる回って同じところに戻っているようでいても、
そのぐるぐる回った経験を落し込めば同じところからちょっとだけ進むと言う。
迷って迷って、これまで関わってきた映画に少し意味を見出せたように思う。

最近行くようになったカフェのマスターと震災の心への影響について話しました。
ただ漫然と生きていた人のなかには、これがきっかけになって、
新たにやるべきことを見つけたり、これまでやってきたことの意味を再確認して、
それぞれが進む道を定められた人達も多いのではないかと。

全ての人がそうなれば良いとは思わないけれども、
いつもの生活に戻るということは少なくとも、
再びダラダラやボケーッとできる様になることではありません。
そりゃ僕も娯楽を求めるし、今後、旅行に行ったりひと息もついていく。
ただ、そればかりで良いとはもう思えないようになっているのです。

僕自身はもう、あと30何年後に再び大災害に見舞われると、
歴史から読み取って腹を括ってしまいました。
その時に40歳50歳になる今の若い人が踏ん張れる様にできればと思う。
映画でそれがどこまでできるか分からないけれども、
子供の頃、若い頃に見た映画が何らかの影響をくれることはあります。
それを信じていくほかありません。

さて、このブログも長らく中断していましたが更新を再開します。
映画の話も、岡田劇場さんのこともお届けしていかなくてはなりませんね。
できれば年内いっぱいかけて宮城県内をできるだけ回りたいと思います。
そこから何ができるかはわかりませんが、何かを生み出すのは行動だと思います。

よく聞く、「迷惑になる」とか「何をやれば良いかわからない」という気持ちは、
僕は否定はしませんが同時にささくれだつ様な苛立ちを感じます。
迷惑かけたらきちんと謝り、わからなければわかる人と行動しましょう。
それだけではないでしょうか。

東松島の親戚の、玄関のタイルしかない家の跡を見た後、思うようになりました。
この街の人達があの日から感じた恐怖と不安を思えば、
自分が感じている不安や恐れなど比べようもないほど小さいものだと。


それでは次回はいつものように会いましょう。

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